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二月二十二日、木曜日。弘前市内の中心部を離れるにしたがって、道路わきの雪の嵩が見る間に増していくのが分かる。
H町はスキー場と温泉に関連した、主に観光業で収入を得ている。とは言え、特にスキー場に関しては町を挙げて開発に着手したものの、要した経費を取り返すほどの集客が実現できないままにシーズンを重ねていた。
町の財政の窮乏は、そこに足を踏み入れた途端に現実味を帯びて感じられた。それは桜田がこの町を訪れた日に、鉛色の雲が低く垂れこめていたせいばかりではない。町の中央を横切る川に沿って連なる家々が、低い軒を折り重ねるようにしてひしめき合い、沈んで見えた。
どれほどの歳月を積み重ねてきたのか。川村真理亜が生まれ育った木造の平屋は、屋根の稜線が曇り空を背にたわんでいた。それでも山間の豪雪地帯にあって倒壊することがないのは、柱や梁といった基本構造がしっかりとしているからなのだろう。
山脇は砂利敷きの庭先に車を停めた。フロントガラス越しに見える家の窓に、人影が動いて見えた。車の動きに気がついたのか、影は動きを止めた。南に面して広く取られた掃き出し窓には、新たに取りつけられたアルミ製のサッシが鈍く光っている。玄関脇の外壁には、寄りそうようにエアコンの室外機が取り付けられている。家の中は外観以上に居住性が優れているのかもしれない。
「あれが川村依子ですかね」
「多分ね」
できる限り相手に不快感を与えないようにするため、桜田と山脇はすぐに車を降りた。
桜田は腕の時計を見た。日の出から三時間ほど経っている。掃き出しのガラス窓に隔てられた家の中には、家人の存在を知らしめるかのように洗濯物が干されている。太陽のある南東にちらと視線を走らせると、陽を背にした一戸達樹の家が、暗い影に深々と塗り潰されている。
「こんにちは、ちょっとよろしいですか?」
桜田は玄関にはまわらず、庭を横切って窓に歩み寄った。ほんの一瞬だが、依子の顔に嫌悪が深々と刻みこまれたのを、桜田の目ははっきりととらえた。女は玄関の方向を手で示した。その力に押し出されるように、桜田は踵を返して玄関に向かった。山脇がその後ろに従った。
似ていない。それが依子に対する桜田の第一印象だった。
貞一がH町の役場に勤めていたころ、この町がロシアのある都市との間に姉妹の関係を結ぼうという話がもち上がった。そこに、ある種の利益を掠め取ろうとするロシアンマフィアの影がちらついていたこともあり、結局のところ姉妹都市関係の締結の話は流れてしまった。その際ロシア側からの使節団に加わっていた女性と、H町側の使節団に所属していた貞一は、互いに強く惹かれ合った。そして数度の逢瀬を重ねたのち、二人は周囲の強い反対を押し切って結婚した。
二人の間に生まれた娘、真理亜には色濃く母の遺伝子の痕跡が認められた。不動産屋の社長を務める鳴海の言葉を借りれば、その容姿は次のようになる。
角度によっては金色に輝いて見える髪や見る者を怖気づかせるほど透き通ったブルーグレーの瞳はもちろんのこと、真珠のように白い肌が信じ難いほどに際立って見えた。光を受けるのではなく、まるで真理亜そのものが光を放っていると錯覚させるほど、その姿はある種の力をもっていた。
その一方で、今、桜田の目の前にいる依子には、母親の面影が薄い。
すっきりと細い顎のラインをなぞるように整えられたセミロングの髪は、漆黒。その黒は、周囲の光をたっぷりと吸収しているかのように艶やかだ。
『永遠の花嫁』第二章「粉雪」B8
『永遠の花嫁』