『永遠の花嫁』第三章「八朔の雪」A1

『永遠の花嫁』

 七時六分弘前駅発の特急『つがる8号』に乗れば、八時四十五分に八戸駅に着く。そこからは八時五十七分発の『はやて8号』に乗り換えて上京する。東京駅に着くのは十二時八分だ。倉科は財布の中に入れていたチケットを見て、この日、三月九日金曜日の列車の発着時刻を確認した。
 焼きたてのトーストにバターを塗り、その上に環が旬の時期に大量に作り置きしていた夏みかんのマーマレードを載せる。他の組み合わせも試してみようとは思うのだが、つい好みの取り合わせに走ってしまう。
「タクシーは六時四十五分に来てくれることになってるけど」
 環が倉科の左隣に座る。
「うん、今からならちょうどいいな」
 地方都市の金曜日の早朝、駅までの道は空いている。倉科はこれからタクシーで走る道を思い起こしながら、最後のひと口分のトーストを頬張った。数回噛んだ後に牛乳で胃に流し込み、壁の時計を見上げた。まだ十分に余裕がある。
「子どもたち、そろそろ起こしてくるね」
「まだ早いだろ。もっと寝かせておいてやろう」
「でも、あの子達嫌がるのよ。知らないうちにパパが出かけちゃうの。茜なんか、見送らないとパパが無事に帰ってこなくなるような気がするなんて言うのよ」
「茜は相変わらず大げさだな」
「陸もこの前あなたが早く出かけて見送れなかったときに、今度は絶対に起こしてって泣いたのよ。だから起こさなくちゃ」
 環は椅子を立ち、階段を上った。
 倉科は二服目の茶を(すす)りながら、子どもたちが階下に降りてくるのをぼんやりと待った。やがてトントンと小さな足音が二つ連なって聞こえてきた。その後を、環のスリッパを履きなさいと叫ぶ声が追いかけてくる。階段から躍り出るように飛び出した茜が、しゃがんだ倉科の胸に真っ直ぐに飛び込んで来た。一旦倉科の胸に顔を埋めた後、顔を上げた茜は眠そうに目を(しばた)いた。
「パパ、もう行っちゃうの?」
 そう言う茜の小さな背中に、陸のさらに小さな体が突進してきた。
「お姉ちゃんずるい」
 倉科の体を占領するようにしがみついた茜の体を引き剥し、陸が割り込もうとする。
「ちょっと待って、ちょっと待って。転んじゃうよ」
 子どもたちを引き寄せて、わざと大げさに全身を揺らせた。おしくらまんじゅうのように揉まれあう動きに、子どもたちがきゃあきゃあと喜んだ。
 その光景を眺める環の目に、倉科は湖面のような凪を見い出した。もう少し待ってくれ。必ず話すから。倉科は声にならない声を、自分の胸の中に響かせた。

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