『永遠の花嫁』第三章「八朔の雪」A9

『永遠の花嫁』

「実は、七年ほど前にこちらに通院していた川村椿という女性について聞きたくて、伺いました」
 倉科は単刀直入に切り出した。
「あなたはその方とどのような関係ですか?」
 結論を決めているのに一応は段取りを踏む。藤本の言葉の中に、そんな意味を倉科は()み取った。
「彼女は東京に戻る前、ほんの短い期間ですが青森に住んでいました。私はそのとき彼女が通っていた高校の、担任教諭です」
 どう話してもわざとらしさが残るような気がして、倉科はあえて声の抑揚を殺した。
「倉科さん、でしたか。おそらくご存知でしょうけれど、どんな職業にも守秘義務というものがあります。職務上知り得た情報をみだりに明かすことはできません」
 藤本は極めて機械的に、無難に、この場をやり過ごそうとしていた。
「もちろん承知しています。しかし、今あの子がどんな境遇にあるのか心配なんです」
「今の境遇なんて、私にも分かりませんよ」
 カルテなど過去の記録をたどらなくても、椿の名前を聞いただけである程度の記憶が呼び起こされている。
「川村椿のことは何も見なくても覚えているんですね。それはどうしてですか?」藤本は何も答えない。「あの子の容姿に惹かれたんじゃないんですか?」
 藤本は倉科の挑発には乗って来なかった。ただ静かに言った。
「では、あなたは? なぜあの子のことを知りたいと思うんですか?」
 藤本が挑発に乗らなかった時点で、倉科はこの賭けに負けていた。
 倉科自身、あらためて自分に問いかけてみる。
 なぜ椿に関わろうとしているのか。なぜ彼女の消息を知りたいと思うのか。
 椿を救いたい。身勝手な大人たちによって孤独を強いられてきた彼女を助けたい。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 椿を助けるなどというのは建前で、本当は自分が救われたいと願っているだけなのではないか。椿にできる限りのことをしてやることで、自分の過去を都合のいいように払拭しようとしているに過ぎないのではないか。
「お引き取りください」
 藤本のその言葉を待っていたかのように、診察室のドアの向こうに小さな喧騒が起こった。こつこつとくぐもった足音が近づいてくる。倉科は腕の時計を見た。少し遅い。そう思った。

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