倉科の頭の中に地図が湧きあがった。真理亜と椿が住んでいたアパートを中心として描かれた地図に、二人がこの街で過ごした二十日足らずの間に通ったであろう道を思い描いた。日々の食料や日用品を買うために通ったスーパーマーケットへの道。ホームセンターでは掃除用具のひと揃えを購入したかもしれない。転校の手続きのために二人で学校を訪れたときには、倉科自身が対応している。その後は椿一人が、ほんの数える程度ではあるが学校へ続く道を往復している。住民票の変更など、真理亜は様々な事務手続きを取る必要があったから、市役所へも足を運んだことだろう。手続上いくつもの部署を盥回しにされて、真理亜はぶつぶつと文句を口にしながら建物の中を行ったり来たりしていたかもしれない。
そのどれもが徒歩で、あるいは公共の交通機関を使ったとしてもすぐにたどり着ける範囲にある。その中でひとつだけ、比較的遠くへと伸びる、たどるべき道がある。弘前市に隣接するH町にある、真理亜の実家へと伸びる道だ。具体的にそこを往復したかは分からないが、足を運んだ可能性は否定できない。それら思いつく限りの行き先の中で、帰り道が閉ざされる可能性、つまり、真理亜に対して強く負の感情を抱いている人間がいるところ。
まさか。
倉科の頭の中で、再び声が響いた。自らの想像に凍りついた。しかし、そこしかない。そう思った。
真理亜にとっては故郷でも、椿にとっては新しい街だ。住み慣れない街に一人娘を置き去りにして、たったの十八日間で姿を消す親などいるものだろうか。
真理亜の椿に対する、親としての愛情。そこには揺るぎない強さが働いていたと、倉科は信じている。真理亜は、愛人の息子が自分の娘に加えた仕打ちに気がついた。仮に自分の立場や生活を守ることを優先させるのであれば、真理亜は愛人と別れなかったはずだ。椿への加虐の代償として、東京から遠く離れた弘前での新しい生活を、タヌキに経済面で補償させる。しかも過度にではなく最低限のレベルを守らせることで、真理亜は自分たち母娘を傷つけた相手に対するプライドを守ることも忘れなかった。ゴリラの罪を警察沙汰にしないまでも父親であるタヌキに告げ、ある程度の範囲内で公にすることによって、ゴリラの椿に対する暴力に歯止めをかけることに成功した。この成功を足がかりとして椿に新しい生き方を与えるためには、真理亜が姿を消していいはずがない。真理亜は椿のために懸命に生きようとした。だからこそ、自らの意思で消息を絶つわけがない。
誰かの力が加わったことによって真理亜の消息は絶たれた。そう考える以外に彼女の失踪の説明がつかない。
すべてが倉科の頭の中で組み立てられた筋道に過ぎない。物的証拠はおろか、状況証拠すら、ない。しかしその一方で、この思考の流れそのものには無理がないように思える。
一連の想像を証明する必要がない立場だからこそ許される仮定の連鎖。いくつもの疑問を内包しながらも、そこに破綻がないことがかえって倉科を戦慄させた。
真理亜はH町の実家にいる。
その形が現在どのようなものであるかは分からない。しかし、そこにいる。そう考えるのが最も自然だ。倉科が確信したとき、厚い雲が月を覆い隠した。細い光さえ失い、街はさらに深い闇に包まれた。
『永遠の花嫁』第四章「牡丹雪」A11
『永遠の花嫁』