新幹線はいつの間にか動き出していた。車輛が線路の上を滑り出すことで生じた音は、ごく僅かなものだった。窓の外の景色が流れている。夕暮れの柔らかな光に包まれた町並みが、重く沈んで見える。
「予想はしていたんです。椿が背負っていた過去に、暗く重い現実があることは」
「でも、それが思っていたよりも酷かった?」
「はい」
「先生が川村椿に出会う前から、彼女はもうすでに重荷を背負って生きていた。それだけのことです」
倉科は頷いた。そのことがはっきりした今、あなたは自身の行動に引け目を感じることはない。あなたが自分自身を責めるのは、川村椿に対してむしろ傲慢な態度だと言えるのではないか。実際に重荷を背負うのは川村椿本人にしかできないことで、いくらそれを肩代わりしようとしたところで他人にできるはずはない。酷な言い方かもしれないが、それができると思い込むのは自己満足でしかない。桜田はそう言った。
「本当に酷ですね」
桜田の声が胸に痛い。小さな怒りが、ろうそくの炎のようにふつりと湧き起こりさえする。しかし、桜田の言う通りだ。
「桜田さんの口から最初に一戸達樹が死んだと聞かされたとき、正直なところ驚きはありませんでした」桜田は相槌を打たないが、目が次の言葉を待っている。「達樹が訪ねて来たとき、例の『一戸ノート』を預かったときですが、明らかに怯えた様子でしたから。何かが起こるものだと思って、準備していたのだと思います」
「そうでしょうね。私が先生の立場でも、同じように感じたと思います。ですが、分からないことがあります」
「何ですか?」
「かつての教え子が先生の前に突然現れ、怯えた様子で一冊のノートを残して消えた。そこで先生は、ただならない空気を読み取って心の準備をしたとおっしゃった」
何かが起こると予測できたと言うのなら、そこで準備すべきなのは、事情を話して警察にノートを預けることではないのか。なぜそうしなかったのか。桜田はそう言った。
誰もが全く予想することができない場所にあってこそ、物事の安全は保障される。最初から警察に預けるなど、それこそ危険すぎる。警察という名の巨大な組織の中にこそ内通者の存在を考えなければならないのだから、実に厄介だ。桜田に対する返答にこの事実をどこまで匂わせればいいのか考えはしたものの、倉科はあえて触れないことを選んだ。
「慣れて、しまっているのだと思います」
「人が危険に晒されている状況についてですか?」
「はい」
「教師という仕事をされているあなたが、人の死に慣れることがあるとは思えません。私も山脇刑事も、あなたの様子に何かしら不思議な空気を読み取って困惑しました」
桜田の予想があながち間違いではなかったということになるが、教師という職業の周辺には、それほど多くの人間の死が存在するものなのか。桜田はそう訊ねている。
倉科は窓の外に視線を移した。夕陽の中に流れる外の景色を眺めた。
「桜田さんと山脇さんが学校にいらっしゃって、久しぶりに川村椿の名前を耳にしました。そのとき私が思い出したのは、川村椿の姿ではありませんでした」
桜田が首をかしげた。川村椿でないのなら、一体誰の姿を思い出したのか。そう問いかける仕草だ。
「以前、異性の友人を失ったことがあります。その友人は、警察の監視下に置かれているはずでした。しかし、彼女は助からなかった」
彼女が助からなかったというのは、命を落としたという意味ではない。彼女は今、他人によって作られた、誰か別の人間の人生を歩いている。その意味において、彼女自身はもうこの世に存在していない。椿には同じ思いをさせたくない。だからこそ、誰よりも早く私が彼女を見つけ出したい。そして私が彼女を守りたい。桜田に対して発せられるはずの言葉を、倉科は自分の胸のなかに響かせた。
こんな曖昧な言葉では、桜田がその本当の意味に気がつくはずもない。そう頭では分かっていながらも、リスクはゼロではないことが倉科を悩ませる。倉科にとってはそれが精いっぱいの告白だった。
『永遠の花嫁』第四章「牡丹雪」A8
『永遠の花嫁』