二人静13

小説

 ホテルでの連泊には何の支障もなかった。
 フロントに連絡を入れれば、一日中部屋で過ごすこともできたのだろう。しかしそうはしなかった。
 一人きりになる時間を少しでも削らなければならない。
 幼いころから大勢に囲まれて過ごしてきた。一人で思い悩む時間を必要以上にもたせてしまえば、思い詰めた挙句何をするか分からない。清美自身が自分の身を傷つける行為から守らなければならない。そんな理由から事件の後は清美を一人にしないよう、周囲の大人たちが常に見守ってくれていた。
 一人でいてはならない。
 清美の頭と体の中には、半ば強迫観念にも似た思いがあった。だからこそこの東京でも、外を歩き続けた。ホテルの部屋で一人きりになる時間を減らし、外の空気を吸いながら誰かの目に触れていなければならなかった。少なくとも陽が高い時間帯には外に出る。今はそれ以外に何の目的もない。ベッドメイク前後の時間を外で過ごすことこそが目的であり、その実何をするのでもない。だからただひたすらに歩いた。

 ホテルに滞在し始めてから五、六日が経ったころだろうか。まだ歩いていない道を辿って知らない街を進んだ。昼間、下町と呼ぶにふさわしい界隈には人の姿がまばらだった。スーパーマーケットには主婦が多く、公園には小さな子どもを連れた母親がいた。誰のどの姿にも、誰かのためのその人の役割があった。
 清美は道を、路地を、商店街をあてどなく歩いた。いくつもの坂を上り、下り、右に左に道を折れ、駅を見つけては名前を覚えようと頭を働かせた。しかし用のない駅の名前など、通り過ぎるとすぐに忘れてしまった。公園を見かけはしても、疲れを感じない限り立ち寄ることはなかった。
 その日は履き慣れない靴のために、足に痛みを感じた。近くに小さな公園を見つけ、ベンチに腰かけた。しばらく休んでいると、座る清美の足元にいつの間にか真っ白な猫がすり寄ってきていた。初めはかまうつもりなどなかった。しかし、すっかり安心したように足元に座り込んだ猫に、知らず知らずのうちに両手を伸ばしていた。
 猫の前足の付け根に両手をそっと差し入れた。左右の親指が猫の胸元に柔らかく食い込んだ。そして持ち上げた。そのときの感触には覚えがあった。
 人の、男の首を絞めたときの手応え。
 何年も何年も忘れていたはずの感覚が、記憶の底から今になって浮かび上がってくる。
 忘れることができていたのではない。うまく隠されていたにすぎないことを思い知らされる。
 体にさらりとした悪寒が走る。慌てて両手を引っ込めたことで、猫を取り落とした。驚いた猫がギャッと短く息をもらしたかと思うと、まるで釣り上げられたばかりの魚のように身をひるがえして地面に落ちた。四本の足が地を捉えるのとほぼ同時に、猫は駆け出した。

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