知っているという安心感からか、一度通ったことのある道は目的地までの距離が短く感じられる。三人はいつの間にか「喜楽」に着いていた。恵三は立ち止った。清美もその場に。
「あの晩、麗は可哀想だった。どうしようもないってことは分かってる。あなたはあなただ。明子じゃない。俺と麗と、一緒にいてもらう義理もない。でも、あなたは現れた。俺と麗の前に。どうせいなくなるのなら、初めから来ないでもらいたかった」
自分の身勝手さを悔いたのは、この数日のうちで一度や二度ではない。当たり前のように受け入れられることを前提として、東京にまで出てきてしまったこと自体が間違いだった。いかにも身勝手なことだった。
「この家に入るのなら、突然麗の前からいなくなるようなことはもう二度としないでもらいたい」
麗を支えてきた恵三にもまた、清美は余計な苦労をかけたに違いない。
「私をここに置いてください。もう一度、生き直したいんです」
この男の癖なのだろう。恵三はまた、短く笑った。
「生き直すってのは大袈裟だろ」
清美は曖昧に微笑んだ。
決して大袈裟ではない。重い罪を犯した清美には、碧く晴れ上がった空は似合わない。恵三にはその理由をできる限り早く、今夜にも話さなければならない。麗にはこれから先、いずれかの頃合いを見て。
事実を話してもなお、恵三は私を受け入れてくれるだろうか。麗に関わることを許してくれるだろうか。恵三と麗が二人でこの一年間に築き上げてきた生活のなかに、私を加えてくれるだろうか。
この場所で、二人に必要とされながら生き直したい。そのためになら、持てるものすべてを投げ打ってもかまわない。
「この店の喜楽っていう名前は」ふいに恵三が口を開いた。「明子がつけたんだ。俺はもっと格好のいい名前にしたかったんだけどね」そう言って笑う。「あなたがこの店に来た時に、喜んで迎え入れてあげたい。そして一人で辛い思いばかりしてきたあなたに、会えなかった時間をすべて埋められるような楽しい時間を過ごしてもらいたい。そう言って」
明子は清美のために、居場所を作ってくれていた。馬鹿な妹が臆面もなく、ふらりとここに現れることを見越して。
いつ会えるのかもわからない。果たしてそんな日がもう一度訪れるのか、それすら分からない。それでも姉は妹のために、未来の不確かな邂逅の日のために、祈り続けていてくれた。
「明子とあなたとの間に何があったのか、今の俺には分らない。でもな、明子がそう望んでいた以上、俺はあなたをありのままに受け入れたい。だから、あなたにも明子が望んでいたことの実現を手伝ってもらいたい。あなたにできることは、麗を守ってくれること。それこそが、明子が望んでいたことだから」
清美は頷いた。
麗を地面に降ろして立たせ、すぐにその手を握る。恵三が引き戸を開いた。何も言わないが、清美に入るように促している。
この日、このときから新しい人生が始まる。清美はその一歩を踏み出していた。三人で。
了