二人静6

小説

 何かに急かされるように目覚めた。前後の自覚がないまま、見慣れない天井を見上げて横たわっている自分に気がついた。体が妙に熱い。見ると、首元まですっぽりと掛布団にくるまっていた。体中にべったりと嫌な汗をかいていた。慌てて起き上がり、ここがどこかを思い出そうと頭をひねった。そうだ、東京のビジネスホテルだ。開け放したままの窓に飛びつくと、外にはすっかり夜のとばりが下りていた。夏の日が長いなかでこの暗さということは、よほど時間が経ってしまったのではないか。そう思って腕の時計を見ると、まだ八時になったばかりだった。ほっと安心はするものの、動き出そうとしていた時刻はとうに過ぎている。清美はスーツケースのなかから化粧品を入れたポーチを取り出して鏡台の前に座り、髪をかした。
 祖父に教えられた恵三の店、「喜楽」の開店時間に合わせて店の前まで行ってみるつもりでいた。そして店の場所と開店していることを確かめてから近くの食堂にでも入って食事を摂り、もう一度ホテルに戻ってから出直そうと考えていた。恵三や他の客に迷惑をかけないよう、閉店の少し前に店に入り、最後の注文はと声を掛けられた頃合いに、この店で働かせてほしいと申し出ようと目論んでいた。それが駄目でも、新たな街で新しい生活を始める覚悟をしてきている。閉店のタイミングはその日の客の入り具合によっても変わってくることだろう。要は最後の客になるまで居座ればいい。
 寝過ごしたために予定より二時間ほどずれ込んだものの、そのまま計画を実行することにした。
 化粧と服装を整えてホテルを出た。
 都心の夜風はどこかほこりっぽく、普段通りに呼吸をしてもよいものかどうか躊躇ためらわれた。その対岸で、嗅ぎ慣れない人いきれや車の排気ガスに、どこか知らない国に迷い込んだような錯覚を楽しんだ。
 日中、祖父の車で素通りした、店へとつながる道をきちんと覚えていた。十分ほど歩いただろうか。目の前に「喜楽」の暖簾のれんが見えてきた。歩調を緩め、ゆっくりと通り過ぎながらりガラスの向こうに濃く薄く動く影を数えた。話し声が漏れ聞こえる。平日にもかかわらず、繁盛していることがうかがえる。間もなく大きな賭けを控えているというのに、清美の頬は緩んだ。
「喜楽」から何軒か離れた先に洋食屋を見つけた。そこでオムライスを注文し、食べた。美味しくてぺろりと平らげたのだが、どこかしら違和感を覚える。それが塩加減、味そのものの濃さであることに気がつくまで、そう時間はかからなかった。よく言われる西と東の差がこれなのかと、改めて思い知らされる。食べに来る人たちの好みをしっかりと舌に覚えさせなければと思いつつ、身勝手な計画がすべてうまくいくことを前提にものを考えている自分が可笑しかった。
 一旦ホテルに戻った。これでいいのだろうかと、鏡のなかの自分を確認してみる。自信がもてずにいる自分と、何をしても変わり映えなどしないではないかと諦めている自分とが同居している。ならば諦めた方が賢明だなどと思ってしまう。ああでもないこうでもないと思いつつ、とりあえずシャワーを浴びて体だけでもさっぱりときれいにした。そうこうしているうちに、いつの間にか十一時になろうとしていた。清美は身支度を整えて再び外に出た。

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