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二人静11

常夜灯の明かりが部屋を橙色だいだいいろに染めていた。その薄暗がりに、座ったままの自分の体が溶け入ってしまいそうに思える。清美は手の平を広げてみる。そこに本当にそれがあるのか、確信がもてない。手の平の形を結んでいた像が、少しずつ少しずつ輪郭を...
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二人静10

清美は麗ににじり寄りながら、その小さな体をそっと引き寄せるために足を横に投げ出した。そして手を差し伸べた。麗は何も言わない。ただ洟はなをすすりあげながら、導かれるままに清美の胸に体を寄り添わせた。その体を持ち上げて膝の上に載せた。背中に腕を...
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二人静9

清美は席を立ち、恵三が促すまま厨房へと足を踏み入れた。コンロの上に小さな土鍋が置かれている。恵三が素早く鍋掴みを手にし、土鍋を盆の上の鍋敷きに載せた。小さな木の匙と、布巾がそえられている。 その盆を手に奥のドアへと向かう恵三の背中に、清美は...
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二人静8

清美は彼女が手にした猪口に徳利を傾けた。酒で満たされた小さな器を、彼女はそっと桃色の唇に運んだ。目を見開いたかと思うと、ほんとだ、美味しいとつぶやいた。 分らない者同士、酒の話を楽しんでいると、暖簾のれんの向こうから声がした。料理が出来上が...
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二人静7

街なかの明かりが少しだけ減っただろうか。「喜楽」の暖簾が薄闇の中に浮かんで見える。明かりが点いた店内も、先ほどとは打って変わって静まり返っている。清美は引き戸にそっと指をかけ、ゆっくりと開いた。「いらっしゃい」 目の前に赤いエプロンをした店...
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二人静6

何かに急かされるように目覚めた。前後の自覚がないまま、見慣れない天井を見上げて横たわっている自分に気がついた。体が妙に熱い。見ると、首元まですっぽりと掛布団にくるまっていた。体中にべったりと嫌な汗をかいていた。慌てて起き上がり、ここがどこか...
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二人静5

馴染んだ和装から洋装に替えただけで、こんなにも気分が変わるものだとは思いもしなかった。一部の隙もなく自分の体を包み守ってくれていたものが、今や隙間だらけのふわふわと軽い布に取って代わっている。それが何かの間違いのように思える。 鉄輪を発つ日...
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二人静4

人前に出ても恥ずかしくないような洋服を、清美は一着も持っていなかった。 もちろん、上京後も和装で過ごすことはできる。恵三の小料理屋で働くことができるのであれば、なおさら今まで通りの和装の方が合っているのかもしれない。「それでは何かと不便よ。...
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二人静3

鉄輪を去るにあたり、やらなければならないことが次々と頭に浮かんだ。そのうちのひとつが、浅草の祖父に高梨麗の様子を見に行ってくれるよう依頼することだ。 祖父はこの頃になってようやく、浅草の旅館の経営を長男の孝志に譲ったばかりだ。七十を目前に隠...
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二人静2

秋と冬を越え、春を過ぎて再び初夏を迎えた。 この季節、客室に活けるための山野草には事欠かない。まだ小鳥たちのさえずりさえ響かない早朝、女将と連れ立って裏手の山林に浅く分け入ることが日課になっている。 ふと、足元の可憐な白い花に目が留まった。...