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『明日の私』最終章「明日の私」(6)

どのくらいの間そうしていただろうか。実際にはそれほど長い時間ではない。しかし、呼吸すら忘れさせる時間は、私にとって永劫の長さを宿していた。「試験はどうだった? うまくいったか?」 空気の重さに業を煮やしたのか、無理やり笑顔を作った父親がそう...
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『明日の私』最終章「明日の私」(5)

「おかえり」 美智子の声もいつも通りだったように思う。玄関からドア一枚を隔てたリビングにいるであろう、彼女の様子をうかがい知ることはできなかった。しかし、何もかも日常との違いはないはずだった。 だが、私の目は異質なものをとらえていた。 黒革...
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『明日の私』最終章「明日の私」(4)

推薦入試に関するすべての行程を終え、私がコンクリートの牢獄から解放されたのは、昼を少し回ったころだった。 晩秋の空はどこまでも高く、そして澄んでいた。 朝よりも一段と輝きを増した陽の光があふれる中を、私は学舎の出口から正門に向かって駆け出し...
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『明日の私』最終章「明日の私」(3)

「それじゃ、行ってきます。先生はこれからどうするんですか?」 そんなはずなどあるわけがなかったが、妙な期待をしてしまう。こうして待ってくれていたのだから、試験がすべて終わるまで会場の敷地内にいてくれるのかと。「これからすぐに学校だ。部活の連...
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『明日の私』最終章「明日の私」(2)

試験会場までは、バスの停留所で七つ分の距離だ。私は時間的に十分な余裕をもって会場まで歩くことを選んだ。凛と澄んだ、ちりちりと頬を刺す冷気の中に吐き出す息は、つい先日までよりもずっと白さを増していた。 この二年間、状況だけを並べ挙げれば、幸せ...
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『明日の私』最終章「明日の私」(1)

夏休み明け、九月、十月、十一月は、爽秋と秋麗と菊花に心を和ませることすら忘れ、駆け込むように十一月の半ばを迎えた。 一般推薦の試験日、私は自分で定めた時間通りに家を出た。すっきりと晴れわたった霜枯れの空の下を歩きだした。 間もなくまた冬を迎...
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『明日の私』第14章「それぞれの道」(6)

四月に三年生になったかと思うと、瞬く間に夏休みがやってきた。初めて『秘密クラブ』のメンバーが顔を合わせてから丸一年。私は推薦入試までの約三か月間を、これまで通り『秘密クラブ』と『津軽長寿園』で過ごす時間を有効に使いながら走り切るつもりでいた...
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『明日の私』第14章「それぞれの道」(5)

「誠には悪いけどさ、先生とやってる小論文、何だか楽しそうだよね」 保奈美がそう言うと、誠は顔をしかめた。「それ、ほんとにひどいよ。実際にやってる方はたいへんなんだぜ」「私も楽しそうだなって思ってた。いろんなテーマについて考えるきっかけになっ...
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『明日の私』第14章「それぞれの道」(4)

「先生に相談したんだ」「それで?」 私は柏木の対応が気になった。「志望校を替えた方がいいんじゃないかって。例年通りであれば八人の中に特別進学コースの生徒もいるだろうし、進学コースの上位者もいる。まだ定期試験と模試で挽回するチャンスはあるけど...
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『明日の私』第14章「それぞれの道」(3)

「勇児は?」 私の問いに、勇児は寂し気な笑みを浮かべた。「何をやりたいか真剣に考えたんだけど、俺、中国史を勉強したいんだ。その先の職業に結びつけることを考えると、教師になることぐらいしか思いつかないんだけど、それは後から悩めばいいかなって。...