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『明日の私』第2章「赤い川」(4)

十一月半ば、私は退院した。 事故後初めて登校した日。事情を知っているクラスメイトたちが、私が教室に入るなり明るく声をかけてくれた。これからの学校生活を少しでも気兼ねなく過ごすことができるようにと配慮してくれていたのだろう。それに対して、私は...
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『明日の私』第2章「赤い川」(3)

私立は公立に比べて一般的に学費が高い。美智子一人の収入から学費を捻出させるには遠慮があった。私は担任に相談した。「硬式野球部とスキー部と剣道部には体育奨学生の制度がある。その他の部活動でも、優秀な生徒を採るための特別奨学生の枠が若干名分ある...
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『明日の私』第2章「赤い川」(2)

高校生の本分が学業だと言われれば、うなずくしかない。部活を辞めたとしても学業に集中すればいいと他人ひとは言うかもしれない。そんなふうに気持ちを切り替えることができればどんなに楽だろう。 しかし、部活が駄目なら学業にと、安易に切り替えられるよ...
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『明日の私』第2章「赤い川」(1)

私は毎日空を見上げていた。 右の手足が硬いギブスにおおわれた状態で、ベッドに横たわったままできることといったら、アルミサッシに四角く区切られた空をぼんやりと見上げるくらいのものだった。左手で頭上にかざせば本を読むこともできたが、長時間同じ姿...
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『明日の私』第1章「夏の失敗」(5)

病室のドアをノックする音がした。私の返事を待たずにドアが開かれた。そこには白衣の看護師と、美智子がいた。「あら、起きてたのね。一昨日おとといはたいへんだったのよ。覚えてるかしら」 看護師が私の顔を覗きこんだ。二日前から私のことを知っている彼...
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『明日の私』第1章「夏の失敗」(4)

しかし、利き腕の右はそうはいかなかった。左腕を先に確認したのは、右腕の怪我の方が重いと知っていたからだ。 肩から指先にいたるまでがっちりとギブスでおおわれていることは知っている。だからと言ってギブスに隠された部分が動かない理由にはならない。...
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『明日の私』第1章「夏の失敗」(3)

普段の目覚めと何も変わらない、ありふれた覚醒だった。 時間の感覚がなかった。部屋の明るさから夜ではないことは確かだが、朝なのか夕方なのか、判断がつかなかった。 すべてが白かった。壁も天井も。 頭のなかが不思議とすっきりしていて軽い。事故にあ...
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『明日の私』第1章「夏の失敗」(2)

人工の山だが、いつも何とはなしに目をとめていた。その日も自転車に乗りながら、何気ない視線を砂利の山に走らせた。すると、視界のすみに何か長細いものが映った。初めはただの紐だと思ったが、それが動いていた。初めて見るような、立派な青大将だった。 ...
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『明日の私』第1章「夏の失敗」(1)

いつも山があった。 晴れていればその姿が一日に何度も視界に飛びこんでくる。激しい雨に空が煙っていても、その形をあるべきはずの場所にいつでも思い描くことができる。見えていてもいなくても、山はいつでもそこにあった。 頂から深く切れこんだいくつも...
書評

10.『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 新潮文庫 平成19年6月10日第11刷

まったく異なる人格や経験をもつ登場人物たちが互いの内面を認め合い、補い合おうとするところに物語の面白さが生まれます。やがて物語の進展とともに、特定の登場人物の関係が度合いを深めていきます。特に男女の間にあっては、相手が自分にとってなくてはな...