年の瀬に得体の知れないウィルスによる感染症の存在が明らかになった。それからというもの瞬く間に世界中に広がり、東京に最初の緊急事態宣言が出されたのは二〇二〇年四月初旬だった。様々な情報が飛び交うなか、手洗いや手指の消毒、マスクの着用といった日常的な対策を徹底してウィルスから身を守ることしか、斎藤佳佑には為す術がなかった。
三度目の緊急事態宣言下、地方公務員として都庁に勤める長男の俊真は対応に追われている。少し前までは営業時間の短縮や酒類の提供の有無、座席間の距離やアクリル板の設置状況など、飲食店の営業に関する調査に奔走した。そうかと思うと、今度は路上で飲み会を開いている若者たちに帰宅を促して回っているという。その時々の状況に応じた人海戦術に駆り出されている姿はあまりに忙しそうで、傍で見ていて実に気の毒だ。
晴れて目指していた航空会社への就職を果たして十数年を経た長女の友香は、主に国際線の客室乗務員として勤務していた。しかし国際線自体が極端な減便の憂き目に遭うと、にわかに活躍の場を失った。世界を駆け回る忙しさに翻弄されていた生活が、仕事を失うことによって彩りを失くした。
未婚のまま年を重ねている点は兄妹で同じなのに、新型コロナウィルスの感染拡大という出来事に見舞われた結果は対照的だ。
何かしらの緊急時に人々の立場に強弱の違いが鮮明になる現実は、何が虚で何が実なのかを分からなくさせる。しかも、あるときには虚が実に、実が虚に入れ替わってしまうのだから始末に負えない。
還暦を過ぎて穏やかな日々を過ごすことにも慣れてきたころになって、何が起こるか分からない世の中に生き続けていることを思い知らされた。今度は百年に一度の国難とも称される状況にどう対応するのかを試されている。それでも、幼いころから直面してきた数々の出来事が色褪せることはない。むしろ国が、世界が、同じ理由によって同時に危機に直面していることの方が平等であるとさえ思える。
佳佑は父親の仕事の都合で、幼いころから全国各地を転々としてきた。そのためか、いつの間にか土地そのものに愛着を抱く価値観が削ぎ落され、一つ所に留まっていられなくなった。東京都の郊外に家を建てたものの、一級建築士として全国各地の建設現場に長期間出ずっぱりになる働き方は、そんな佳佑の性に合っていた。