蓮花14

小説

「私の仕事も、同じです」
「お仕事は何を?」
「建築士です」あの人は頷いた。「建築はどんなに目新しく奇抜なデザインやアイデアが盛り込まれているように見えても、きちんと基礎的な工事を踏まえていなければ安全ではありません。安全が確保されてこそのデザインでありアイデアです。新しい技術が開発されることは決して破ではなく、序の延長線上にあると捉えるべきです」
「なるほど」
 そうつぶやいて、あの人が少し考え込むような表情を見せる。それがぱっと切り替えられた。
「あっ、すいません。ついお話ししてしまって。冷めないうちに召し上がってください」
「はい。それでは」
 再び箸を動かした。
 あの人が心配したようには冷めていない。むしろまだ十分に温かい。ふうふうと二度ほど息を吹きかけ、唇で熱さを確認してから鴨肉を口に運ぶ。歯触りの柔らかさに驚き、癖のない旨みを楽しんだ。次にねぎ。一度網焼きを施しているからか、濃厚な甘さが香った。
「これは、沁みますね」
 それしか言えず、ただじっくりと噛み締め、味わった。食べ物で幸せを感じたことなど、祐子の手料理を口にして以来ではないだろうか。一度箸を置いた。
「どうして建築士に?」
 その機会をうかがっていたのだろう。あの人が、問いかける。
「自分が考えたものが形になるのは単純に嬉しいものです。それが依頼者に喜ばれればもっと。それと」
 あの人が首を傾げた。次の言葉を待っている。
「依頼者と工事関係者の対面は、それほど多くはないと考えたからです」
「それは?」
 迷った。その結果として、言葉をぐっと飲み込んだ。
「人と話をして、関係性を築くのが苦手なんです」
「人とコミュニケーションを取るのに苦労されているようにはお見受けできませんが?」
 不特定多数の相手に接しているうちに、自分の過去を知る人間と遭遇しかねないリスクを考えている。いまだに過去に捉われている自分を、自覚したくなどなかった。
 季節や産地によって、鴨肉やねぎの価値にどれほどの差があるのかは分からないが、たいして高級な、値の張る食材は使用していないように思える。それに応じて、金額も高いものではない。にもかかわらず、この満足感はどこからくるのだろう。
「鴨がねぎを背負しょってっていう例え話はよく聞きますし自分でも使いますが、ここまで相性がいいものも、なかなか」
「相性っていう意味ではここの店主とその娘は、鴨とねぎみたいなものですよ」店主とその娘という言い回しに必要以上のよそよそしさを感じつつも、話の続きを聞いた。「普段家族のためには何も作ってくれないのに、娘に何かあった日にはそのことがよく分かるみたいで。おいしい料理を作ってくれるんですよ。それで、娘も嫌なことを忘れてしまう。得意なことで人を幸せにすることができるのって、それこそ得ですよね」
「相性ということは、娘さんからも?」
「店主は普段から無口な性質たちで分かりにくい人なんですが、娘にはその浮き沈みが見えるようです。娘から優しく話しかけられて本音を話したりしてるんですよ」
「娘さんは何を?」
「音楽の仕事を。同じものを見ていても違うものが目に映っているような子ですけど、ひどく常識的なところもあって。父親の良き理解者になってあげてますよ」
 朗らかな笑みが、あの人の孤独をかえって際立たせた。

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