「先ほど、なぜ建築士にという話がありましたよね」あの人が真っ直ぐに佳佑を見た。「他人と接することを避けてきたのには、理由があるんです」
何もここで口に出す必要はない。しかし、知りたかった。
「父が、人を殺したんです」
相手から表情が消える瞬間を見逃すことはなかった。しかし、それは予想していた、あるいはずっと想像し続けてきた反応とは違っていた。
あの人は、凪のなかにあった。
その父を、あなたが殺した。声にはならない声が、宙にさ迷った。
馬鹿だなと、自分の小ささに思わず笑ってしまう。
「母と私には、その後の逃げる人生が実に長かった。世間は、事件を忘れていきます。しかし被害者と加害者がいる以上、そのことばかりを追い続けてしまう人たちが必ずいます。私も追われ続けています」
佳佑の言葉に戸惑いや驚きを見せないあの人に、負の感情が湧きあがってこない。
自分の父親に殺された被害者側の恨みを、母親と佳佑の二人で背負ってきた。母が亡くなった今、その重荷を一人で背負い続けていかなければならない。その辛さを吐露する相手になってくれていた妻、祐子はもういない。その対岸で、父親が死なせた相手の家族はまだ健在だ。一刻も早く彼らがこの世から消えてくれればいいのにと考えること自体、酒に侵された際の父親と自分とが何も変わらない志向に陥っていると思ってしまう。人殺しの血が自分のなかにも流れていることへの恐怖に、いまだに捉われたままだ。
どこにいても追われてきた、そして追いつかれてきた。それを殊更に強調されるわけではないものの、どこからか聞こえてくるその存在に、何度絶望を抱いてきたことか。その絶望を他人のせいにしたくて、あの人の目の前にこうして姿を現してしまっている。
父親が事件を起こした修善寺では、母子が生きる場所が早々に失われた。父親の暴力を受けていたという意味では同じように被害者であるはずの二人が、周囲からの白い眼と、陰に日向に囁かれる心無い誹謗中傷に晒された。
人殺しの妻と息子として、父親が殺した相手の家族から、あるいはまったく関係がないはずの他人からなされる執拗な嫌がらせに心を擦り減らす日々が続いた。ほどなくしてその地を離れることを決意した母子に、修善寺の女将は系列の旅館に住み込みの働き口を世話してくれた。それでも、半年もするとどこからともなく嫌がらせの電話や郵便物が届けられるようになった。そうなると母の勤め先の旅館にも迷惑がかかる。皆が止めてくれるのだが、また勤め先を変えなければならなくなる。
どこに隠れても、必ず見つけ出してやる。一生をかけてでも償え。
声、あるいは文字で、そんな言葉が何度浴びせられたか分からない。どこからか誰かに見られている、知られていることに怯えた。事情を知っているごく一部の人間に相談すると、人を殺めた父親自身が死んでいるのだから、気にする必要はないという答えが返ってくる。それは慰めの言葉ではあるけれど、負の事実を何も解決してはくれない。現に、気にしないでなどいられるはずがない。母子に罪はない。しかし家族が人を殺したという事実は、あまりにも重い十字架となって二人にのしかかった。
佳佑がその辛さから自身を逃がす方法のうち最も効果的だったのは、それと同じ感情をあの人に対して抱くことだった。