蓮花18

小説

 加害者の家族が受ける誹謗中傷を、次の加害者であるあの人に引き継ぐ行為。憎悪が次の憎悪を生み出す流れを作ることは何としてでも避けなければならなかった。あの人を憎むことによって、自分の置かれた場所はほんの少しだけ居心地が良くなるかもしれない。しかし、それだけだ。
 あの人への仕打ちを想像の世界に留め、実行に移すことがなかったのは母のおかげだ。
 酒に酔った父親が、同じ旅館に勤める男性の首を絞め続けた。自分も同じ目に遭いながら、何とかして首を絞められている男性を助けようと、まだ少女だったあの人がビール瓶で力いっぱいに父親の後頭部を殴りつけた。そのことによって佳佑の父親は死んだ。それでも、結果的には首を絞められていた男性をあの人が助けることはできなかった。
 金をもたせ、父親が酒を飲んでいる店に使いに遣ることでその場にあの人を居合わせてしまったのは、母だった。自分の夫が酒を飲むと豹変することを知りながら、量さえ抑えればと甘く見たことで、あの人に他人の命を奪うような罪を犯させてしまった。
 そのことを毎日のように悔やんでいた母の姿を、佳佑は目の当たりにしてきた。
 酒が入ると人が変わる父親の癖は、母にはどうすることもできない類のことだった。どんなに厳しく目を光らせていても、ちょっとした金があればそれなりの量の酒が買える。事情を知る者のいない土地にまで足をのばそうものなら、何も疑われることなく酒が手に入る。アルコール依存症が病気の一つとして認識されている現在ならいざ知らず、父親が事件を起こした当時は抑制を効かせられない自分自身か、管理を行き届かせられない家族の責任と見なされていた。しかし現実のところ、家族にできることは何もなかった。父親と酒という組み合わせによってもたらされた負の行為は、少なくとも家族のせいではない。どこまで行っても父親本人の責任が最も重いことには違いがない。
 過去のあの人の行為をなじろうものなら、母がどんなに悲しむか分からない。自分たち母子おやこがどんなに辛い目に遭おうとも、あの人に責任を転嫁するような行為だけは実行に移すわけにはいかなかった。
 母は強い人だった。
 父親が生きていたころにその存在に怯えることがあったとしても、それは暴力を受けることに慣らされていたことが原因だった。支配と被支配の関係が相互依存的に作用していたと、今なら理解することができる。
 母子には、殺人者の妻子というレッテルが貼られ続けた。それによって陰口をたたかれた。それでも現実を受け止め、自身のなかで消化し、決して表に出さないことが求められた。なぜなら、文句ひとつ言わずに黙々と働き続けるどころか、いつもにこやかに人に接することができるという評価が母の器量として認識され、次の働き口が準備される可能性を生むからだ。修善寺から始まり、短いときには一年足らずで、長いときでも三年で、逃げるように働き口を変えなければならなかった。そんな母子の行き先は、母の器量によってこそ約束された。
 人の心は分からないものだ。何の利益があってそんなことをするのか理解に苦しむのだが、口さがない同僚からの心無い言葉によって、母子にダメージを与えようとする動きが必ず顕在化する。受け止める側の佳佑が敏感過ぎるのだろうかと考えたこともあるが、実際に相手の口から該当する言葉が放たれるのを耳にするのだから間違いようがない。自分の立場を内側の人間として意識し合うことで、外側の人間に対して少しでも優位な立場を維持したいとでもいうのだろう。
 母がそんな肩身の狭い思いをしてまで生活の基盤を準備し続けたのは、ひとえに息子である自分の存在があったからだと佳佑は思っている。決して口にすることはなかったが、いや、口にすることがなかったからこそ、佳佑を守ろうとする母の強さが際立って見えた。
 佳佑が高校に入学する機会に、親子は山形県の北部に位置する温泉旅館に身を寄せた。そこはそれまでに母が勤めてきた、一連の経営に属さない旅館だった。

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