蓮花19

小説

 事の発端となった修善寺は、東京の浅草に本社をもつ運営会社の系列に属する。それまではその会社の社長が母の求めに応じて異なる土地に職の手配をしてくれていた。それだけでも一定のラインを越えた温情ではあったのだが、母がそれを頼らないと決めたことをも、彼は理解してくれたようだ。
 母としては自分たちに負わされたレッテルを剥ぎ取っておきたかったのだろう。母子おやこだけの力で未来を切り開いていくことを決めた。浅草の社長は母の思いを理解してくれたうえ、身元引受人としての後ろ盾を自ら買って出てくれた。何かあったらこれまで以上に頼って欲しい、力にならせて欲しい、そう言ってくれたと教えられた。だからあなたも、何かあったときには浅草に相談しなさいとも。
 母が就職活動を始めた。これまでのキャリアを活かすことが求められれば、自然と温泉旅館が目指される。そこに浅草の社長の紹介状が添えられた。企業の母体が違えば必ずしも役に立つはずはないものだったが、少しでも役に立ちたいというその心遣いを、母が素直に受け入れるものとなった。当時中学生だった佳佑には、母の就職先がすぐに決まるとは思えなかった。それが思いのほかあっさりと決まった背景には、永遠に続くとさえ思わされた高度経済成長があった。もしかしたら世事に疎かったはずの母にさえ実感することができていたほど、当時の日本はどこにいても金の回りがよかったのかもしれない。中流意識の浸透の下、ある程度の家庭ならばレジャーを楽しむ経済的な余裕が蓄積されていた。各地の温泉旅館では、どこも人手不足が常態化していた。そこに即戦力となる母のような人材が応募してきたのであれば、採用しない手はないという時代だった。
 山形では、陰口をたたかれることがなくなった。事件に対する世間の一般的な興味が色褪せたこともその助けになった。しかし、父親が手に掛けた相手の家庭に母が釘を刺しておいたことの方が大きく機能した。
 夫婦ではあったものの夫が単独で、家庭とは何の関係もない経緯で事件を起こした。周囲の人間がツケで飲ませる、あるいは当初の約束以上の量の酒を飲ませたことがあったとしても、それを超えるほどに本人が酒を飲んだことは、家族がいかようにもできない環境下でのことだ。責任をもたないはずの家族に対する直接的な誹謗中傷は、単なる脅しに過ぎない。これ以上嫌がらせを続けるようなら出るところに出ると。
 十分に注意が喚起されたことにより、相手からの望まない接触を遮断することができた。その後、山形行きが決まった。母子の足取りを追う相手はいなくなった。この段階まで我慢し続けたことで、家族としての負い目は果たした。あとは毅然とした態度で他者からの攻撃を退けたい。何度も聞かされていたそんな母の思いが、山形の地でようやく実現した。一つ残念だったのは、浅草の社長がその翌年に他界したことだった。

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