土地に対する経験の反動だろうか。人に対する執着は我ながら強いように思う。
佳佑という人間がどこから来てどこに行こうとしているのか。そのすべてを知っていた妻、祐子の存在は、佳佑を港に舫うロープのようなものだった。祐子がいる家は間違いなく佳佑が帰るべき場所だった。
都内の設計事務所に就職した佳佑にとって、祐子は同期にあたる。決して前に出るようなタイプの女性ではなかったが、いつもそばにいてくれた。母親の愛情を十分に感じながら生きて来られたはずの佳佑ではあったが、それでも何かが足りなかった。祐子はその肌を通して、佳佑に人の温もりを教えてくれた。
彼女はいつも笑顔だった。その笑顔は決して曖昧なものではない。祐子の内面から自然と湧き上がってくるものだった。その証拠に、それぞれの内面に深く入り込むような話題になると祐子はふと笑顔を消し去り、佳佑の言葉に真剣に耳を傾けてくれた。その態度に応えるために、佳佑もまた祐子との会話に神経を集中させた。佳佑にとって祐子は、真正面から向き合うことができるかけがえのない存在だった。彼女のおかげで佳佑の生活は満ち足りたものになった。
山形で温泉旅館の仲居をしていた母を東京に呼び寄せ、晩年をともに過ごすことができたことで、悔いなく見送ることができた。苦労の連続だった母に対し、少しは孝行することができたのではないか。そう考えることが許される程度には世話を焼かせてもらえたと思っている。それもすべて、祐子が佳佑の希望を受け入れてくれたからこそ得られた結果だった。
東京郊外の自宅を終の棲家ととらえ、六十を過ぎて家族が同居する穏やかな生活が始まった矢先、祐子が病に倒れた。腹部に激しい痛みを訴えるので病院に連れて行き、検査を行った。その結果、膵臓が進行の早い種類の癌に侵されていることと、すでに周囲の臓器や器官に転移していることが分かった。痛みは膵臓からではなく、転移した先からもたらされていいるようだった。初めに告知を受けた佳佑は自分でも信じ難いほどに激しく動揺した。思い悩んだ挙句に祐子に伝えた。体のなかに病巣を抱えた祐子本人の方がずっと落ち着いて現実を受け止めているように見えた。
ウイルスの流行を食い止める手段として緊急事態宣言が出され、飲食店の営業自粛が求められるようになったのは、それから間もなくのことだった。ウイルスの流行よりも早く別の病によって祐子が入院できていたことは、後になって考えてみれば不幸中の幸いだった。ウイルスの感染者数が増すにしたがって、準備されていた専門の病床は瞬く間に埋められていった。皮肉にもそれ以前に病に侵されていた祐子には、静かに身を委ねることができる病床が準備されていた。
病室で二人だけの時間を過ごすたび、白いベッドに横たわる祐子の手を握る。力なく佳佑の手を握り返すその手は、まだまだ温かい。その体温が失われてしまう未来を考えないようにはするのだが、自ずと終わりを見ようとしてしまう自分の弱さが歯がゆくてならなかった。
そして祐子は、静かに息を引き取った。佳佑との間にあまりにも早い、唐突な別れが訪れた。