「あなたのお母様からは年始と暑中と春と秋、年に四度絵手紙をいただいてきました。一度も欠かさずにです。お手紙には、最初のころこそ事件に関する慰めの言葉がありました。それは私にとって辛い記憶を呼び起こさせるものでしかありませんでした」
すべてを知っていながら知らないふりをしていた自分の言動が、今となっては何とも白々しく気恥ずかしい。
「あなたは、母に返事を?」
あの人が頷いたように見えた。しかしその仕草はあまりにも曖昧で、佳佑には正確な意味を読み取ることができなかった。
「それがいつのころからか私の様子を案じる内容に変わっていきました。佳佑さんのこともたくさん」
「知りませんでした」
知らないふりをしていた方がいいかと思っていましたが、これ以上嘘をつくのもどうかと思ってと、あの人は恥ずかしそうに笑った。
「山形の温泉旅館から送られてきた絵手紙のうち、とても気に入っているものがあるんですよ。ある夏の朝、あなたを駅に送って行った後、戻る道すがら。旅館のお使いを済ませるために西瓜畑のなかを車で通ったときのこと。その言葉が小百合さんらしくて」
そう言ってあの人は笑った。
車中の母はバケツの水をひっくり返したと形容されるような、とても強い雨に見舞われた。熟した西瓜に雨滴が当たって奏でられた音が、まるで木魚を叩くようだったことが記された手紙と絵の印象とを、あの人は話してくれた。
「どうして山形だったのでしょう。時代は母のような働き手を必要としていました。どこででも働ける環境は手に入ったと思うのですが?」
「そのころの絵手紙には、やはり人目が気になるとは書いてありました。これまでの人間関係から一番遠い、誰も自分たちを知っている者のいないところに住みたいと、いつも気にかけていたようです。山形は、知っている人のいるところを削っていった結果残った場所のうちの一つだったのだろうと思います。あなたを志望大学の建築学部を目指せるレベルの高校に通わせらことができる範囲には住みたいとも。山形市内にはそれが実現できそうなレベルの高校があるから、そこに通わせたいということでした」
中学三年生の夏、三者面談の場で将来の夢を答えさせられていた。そこで建築士になりたいのだと話した。
「そうでなくても朝の早い仕事なのに、母は職場の了解を得て、車で最寄り駅までの送り迎えをしてくれました。部活動にも入らず、時間を惜しんで勉強に専念しました。とにかく電車に揺られている時間が長かったのですが、そういう環境だからこそ勉強がはかどったのを覚えています」
若いころは運転もしていたのだと聞いていたが、すっかりペーパードライバーになっていた母が中古の小さな車を購入し、旅館の同僚に運転を教わりながら練習した。母が佳佑を始めて駅まで送ってくれた日、その運転があまりにも不慣れでぎこちなかったために、怖さのあまり助手席で身を固くしていた自分の姿を思い出した。思わず、笑みがこぼれた。
「そうでしたね。乗り換えを含めて片道で一時間半電車に揺られるのだと、教えてもらっていました」
「その絵手紙は?」
「もちろんとってあります。すべて、私の」
次に続く言葉を待った。しかし、そのことに関する言葉があの人の口からは一向に出てこなかった。