百日紅22(最終回)

小説

 あの夜。優斗にとって本当の意味での大切な儀式は、生きていた父との間でもうすでに終えられている。悪天候のなか、車を走らせて病院に駆けつけた。それは父を見舞うためだったが、救われたのはむしろ優斗だった。
 あの、たった一言で。
 その心境に至るまでにずいぶんと時間をかけてしまったが、それも今や笑い話にしたい。
「おじいちゃんに、もっと抱っこしてもらいたかったな」
 朱里がぽつりとつぶやいた。優斗は足を止めた。膝を折ってしゃがんだ。
「おじいちゃんも朱里のこと、もっと抱っこしたかったと思うよ。でもね、パパのなかにはおじいちゃんの血が流れているから、パパに抱っこされればおじいちゃんに抱っこされたのと同じになるんだよ。これからもパパといっぱいぎゅってしようね」
 そう言って両手を広げると、朱里はぱっと顔を輝かせた。そして優斗の胸に体を預け、両手を首に回した。優斗はその小さな体に両腕を回し、ふわりと抱きしめた。
「パパ、シンもっ」
 慎吾が優斗の背中にしがみついてくる。
「朱里、次は慎吾をぎゅってするからね」
 優斗がとんとんと背中を叩くと、朱里はそっと体を離した。頭を撫でると、はにかんだ。今度は慎吾の方に体を向けた。やっと自分の番が回ってきたと言わんばかりに、慎吾がにっと笑った。小さな体にきちんと向かい合うために、今度は乾いた砂利の上に両膝をついた。礼服を着ていることを思い出したが、大した汚れがつくわけでもない。
 慎吾の体をぐっと抱き寄せた。どこか乳臭いような、子どもの匂いがする。その匂いを、優斗は胸いっぱいに吸い込んだ。これから先、どれだけこの二人の小さな心と体に思いを注ぐことができるだろうか。少しでも多くその機会を捉えたいと思う。
 慎吾の体を離し、立ち上がった。礼服の膝の砂埃を払った。
「さぁ、行こうか。おじいちゃんがゆっくり眠れるように、きちんとお祈りしようね」
「うん」
「うん」
 朱里の真似をするように、慎吾もありったけの声を出した。そして、慎吾は優斗に向かって両手を広げた。抱っこを求める仕草だ。
「あっ、楽すること覚えちゃったな」
 優斗は慎吾の体を抱き上げた。
 父さん。
 妻の舞と長女の朱里、長男の慎吾を、ずっと見守っていてください。
 父への祈りは新しい家族への願いにしたいと、優斗は思った。
                                           了

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