百日紅4

小説

 ようやく紙コップを手に入れ、給湯口の下に置いた。緑茶かほうじ茶か、あるいは白湯さゆを選ぶことができる。優斗はほうじ茶のボタンを押した。それが紙コップに注がれている間、ようやく収まりかけた指の震えをさらに落ち着かせるため、左右の手の平を繰り返し擦り合わせた。
 紙コップを手にテーブル席に着いた。コップの縁にそっと口をつけ、ほんの少しだけすすった。口のなかにほうじ茶の香りが広がり、凍えた体が温められる。ようやく人心地がついた。
 頬杖をつき、そっと辺りを見回した。家族連れと思しき四人の姿が視界に入った。五十代半ばと二十代半ばだろうか。優斗からは父親と息子らしき二人の男の顔が見える。父親の顔を、見るともなしに眺めた。
 黒と白が半々といったところだ。胡麻塩頭の脇と襟足を小ざっぱりと刈り込んでいる。銀縁の眼鏡の奥には、柔らかな光を宿した瞳があった。穏やかに微笑みながらときどき頷いているのは、向かいに座る二人の女性、おそらく妻と娘の話を聞いているからなのだろう。父親の隣に座る息子らしき人物は、時折会話に加わっている。
 一方父親は聞き役に徹しているのか、口を開こうとはしない。家族四人のうち、誰がここまで運転してきたのかは分からない。上り線のこのパーキングエリアで休憩しているということは、優斗と同様に吹雪のなかを誰かが運転してきているはずだ。父親が運転していたのではないだろうか。なぜかそう思った。
 視線が自分たちに注がれていることに気づかせて、不快な思いをさせては申し訳がない。優斗は行く先を定めない、曖昧な視線に切り替えた。そうしながらも、家族連れの父親を観察し続けた。
 他人の家族を観察するという、どうでもいいはずのことが自分の心を慰めている。そんな事実が不思議でならなかった。
 無口な父親。
 見た目が似ているわけではない。しかし家族のなかでの役割、あるいは立ち位置が似ている。あの顔から微笑みを取り去り、冷たい仏頂面にげ替えれば父と同じだ。優斗は目の前の四人の姿に、自分を育てた家族の肖像を重ねた。
 父と兄、あるいは姉が会話している姿は、次男である優斗の記憶のなかからいくつも思い起こすことができる。しかし、肝心の自分自身のなかに、父と言葉を交わした記憶がほとんどない。もちろん、会話したことがまったくなかったわけではないのだが、圧倒的に少ないことを感じてきた。それがそのまま父の優斗に対する無関心の現れであると疑わずに生きてきた。おそらく父と自分とは馬が合わなかったのだろう。そう思ってきた。
 母には折に触れてそのことを話してきた。そのたびに父にうとんじられていたはずなどないと慰められた。確か高校生のころだったのではないだろうか。それなりに成長していた記憶がある。ただね、と前置いてから、母親が一度だけ思い当たることを話してくれた。
「家を継ぐ長男を大事にしなくちゃいけないとは思っているのよ。お父さんは昔気質かたぎの人だし、お父さん自身が長男として、家を継ぐべき人間として育てられたって、よく話してるから」
 家を継ぐべき長男を大切に育てる。その対照的な存在として、家を継ぐはずのない次男は軽んじてしかるべきだ。そう考えていたというのだろうか。もって生まれた条件で片付けられるのであれば、これから何をしようと、どんな生き方をしようと、父に評価されることなど起こり得ないではないか。
 あのことも、そんな理由から起こったことだったのだろうか。優斗は事柄の経過こそ覚えていないものの、結末だけは忘れようとしても忘れられない、幼いころの出来事を再度思い返してみる。
 父親に一度だけ、頬を力いっぱい平手で打たれたことがあった。

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