月見草1

小説

 神無月だというのに、この島には光の神がいる。
 日差しも風も静かに歌っている。さらさらと打ち寄せる波は、その下に白い波を絶え間なく遊ばせている。砂の粒子に反射し、光が躍っている。沖に向かうにしたがって濃さを増す青は、彼方で海と空との境界を忘れさせる。
 楽園のなかに立ち、大きく息を吸い込む。肺に取り込まれた空気の代わりに、自分のなかの何かが解き放たれる。体が、軽くなる。
 こんなにも美しい沖縄のそこかしこに、かつての悲しい歴史がかくされている。探そうと思えばいくらでも見つけ出すことができるその爪痕は、恐ろしく深く、鋭い。来る日も来る日も戦火にさらされながら耐え忍んできたのは、紛れもなくこの土地と人々だ。いまだに多くの問題を強いられながらも、長い時間を経てこの自然を回復させ、生活を取り戻してきた。そんな人々の営みの強さに、率直な驚きを抱かずにはいられない。
 いつの日か、彼の地にも安息は訪れるのだろうか。沖縄のように、再生への道を歩むことができるのだろうか。柏木雄一は、遠く空を見上げた。
 想定外という言葉が都合よく使われた未曽有の天災により、人々の営みは脆くも破壊された。再生にはおそらく途方もない時間が必要になるであろうことは容易に想像がつく。かかる費用も労力も計り知れない。しかし必ず、人々が笑って過ごすことができる時間と空間が戻ってくるはずだ。手本となる南国のまばゆい日差しのなかで、ほんの一瞬でもあわい期待に身をゆだねることができる。頭のなかに溜め込んだおりを、太陽の光が忘れさせてくれるように思えた。
 二〇一四年、十月一日から六日までの五泊六日。柏木は沖縄への修学旅行に生徒を引率した。その期間中、この旅行を楽しむように心がけていた。どうせ仕事をするのなら、できるだけ楽しめるように工夫した方が得策だ。
 旅行期間中に土日をはさんでいたので、その後の二日間が振替休日にあてられた。その二日間の休みを経た十月九日。修学旅行後初めて学年のスタッフが顔を合わせた。
 主任の望月をはじめとした、学年に携わる教師全員の表情が一様に明るい。修学旅行を安全に楽しく終わらせたという結果が、誰の顔にも明るい光をもたらしていた。
 この日は事後指導に関する内容を確認するため、放課後に学年会議が設定されていた。そこで打ち上げの話も出るだろう。学年の幹事と言えば聞こえはいいが、要は宴会部長だ。その役割を担っている柏木としては、今回の学年の飲み会はぜひとも賑やかなものにしたかった。
「よし。じゃあ、事後指導についてはそういうことで。次は打ち上げをどうするか。皆さんの都合はどうですか?」
 望月が切り出した。彼は目上の人間にはもちろん、部下に対しても仕事上の会話では決して馴れ馴れしい話し方をしない。以前望月本人から聞いたのだが、お互いに社会人なのだから、相手を尊重した呼び方、話し方をするのが当然だということだった。
 時として、望月の言葉遣いが堅苦しく他人行儀だと言う人間もいる。そんな意見に抗うかのように望月が態度を変えないのは、そこに彼ならではの哲学があるからだ。教職以外の経験をもつ、学校の外の空気を知っている人間だからこその感覚なのではないか。柏木はそう思っている。

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