月見草18

小説

「境界線ですか」
「はい。原発事故によって、警戒区域や計画的非難区域のような物理的な境界線が引かれてしまったのはもちろんですが、人の意識の中にも消すに消せない線が引かれてしまったように思います」
「それは?」
「瓦礫の処理の問題がその例です。福島以外の被災地の瓦礫は、その他の地域に少しずつ受け入れられ始めています。でも、放射線の問題があって、福島のものはなかなか受け入れてもらえません。いくら安全性を示してみても、やはり心配だからと受け入れを拒否されてきました。食品についても同じことが言えます。いざ自分の懐に心配事が持ち込まれるとなると、人々のなかに途端に拒否反応が出ます。絆なんて言葉がよく引き合いに出されますが、綺麗事だとしか思えません」
 つい言葉が多くなってしまう。
「まだ話題が新し過ぎて、誰の心にも現実を受け入れる余裕がないんだと思います。世の中がもう少し落ち着いたら、瓦礫についても受け入れ先はもっと増えるんじゃないでしょうか」
 望月は穏やかな口調でそう言った。柏木は、ややもすると感情的に言葉を連ねてしまいそうになる自分を戒めた。
「そうなればいいんですが」
「あの震災以来、いろいろな境界線が引かれてしまったというのは、柏木先生の言う通りだと思います。でも、その線は必ず消せますよ。時間はかかるでしょうけど」
「どうしてそう思われるんですか?」
「世界中が注目しているからです。原子力政策に依存してきた地域経済の姿が世界の注目に晒されれば、脱原発の国際世論に逆行してこれまで通りの政策を維持するのは難しくなるでしょうから。福島の再生を原子力立地地域の方針転換のモデルケースとしてとらえて、世界に積極的にアピールしていくというのはどうでしょうか? そうすることで、福島の孤立を避けることができると思うんです」
「そんなにうまくいくでしょうか?」
「一つの方法がだめだったら、また別の方法を試してみればいいじゃないですか。これ以上悪くなりようがないところから始まってるんです。何度失敗しても、何度裏切られても、何度押し潰されても、何度でも立ち上がって前に進むしかないんですから」
「そうですよね、それしかないですもんね」
 柏木は肴に箸をのばした。鮪をゆっくりと咀嚼する。すぐ隣では、望月も箸を動かしている。酒のせいか、体がぽかぽかと温かい。
「福島では」望月は残った酒をぐいとあおり、飲み干した。「どんな仕事を?」
「避難のために児童や生徒の数が激減して、実際には必要がなくなったところもあるのですが、福島では教師が不足しています。次年度の教員採用試験の受験者も減る見通しだそうです。現地で、教採を受けようと思っています」
 酔いに流されず、すっきりと言えた。

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