月見草7

小説

「よし、さあ、飲もう」
 丹藤の声に、皆が笑顔で応えた。修学旅行に行く前から楽しみにしていた打ち上げだ。形式張らずに自由な空気のなかで飲ませたい。そのために邪魔にしかならない年嵩の人間は早く退散した方がいい。誰が何を言うでもなく、望月の考えは皆の心にも違和感なく染み込んでいるはずだ。丹藤もそのことを心得ている。
 柏木もここで飲んでいたい。年齢の近い、気心の知れた、役職などの隔たりもない自由な空気のなかで弾けたかった。だが、柏木にはもう時間がなかった。皆が席に着こうとしている流れとは反対に、店のドアに向かって歩き出していた。
 誰かの声が柏木の背中を追いかけてきた。柏木はそれには答えず、走り出した。
 望月がどの道を行ったのか、その姿が見えない。予測を頼りに夜の街を進んだ。途中何人もの酔っ払いに体をぶつけそうになりながら、つんと澄んだ秋の夜を切り裂いて走った。今夜しかないと、柏木の勘が叫んでいた。
 望月の背中が見つからない。そのことに焦りながらも、柏木は走った。誰にともなく、望月が一人で飲み歩く界隈の話を聞いたことがある。繁華街の中心からは少し離れた、ちょっと落ち着いた店が立ち並ぶ小路だ。柏木はその場所を目指した。この道を走って行けば追いつける。妙な自身に心を躍らせて、走ることを楽しんでいる自分がいる。やがてついさっきまで一緒にいたスーツ姿が目に飛び込んできた。その背中を追いかけて走りながら、柏木は胸が躍った。追いついて肩を叩くと、望月が「わっ」と短く声を上げて振り向いた。
「柏木先生」
 丸く見開かれた望月の目が、見る間に笑みに変わっていく。柏木は歌い出したくなるような楽しさに、笑った。
「びっくりしましたよ」
「驚かせて、すみません」
 走って来たせいで息が乱れていた。最初の一言が途切れ途切れに口をついて出た。
「どうかしましたか?」
「どうしても望月先生と飲みたくて」
「もう帰ると言って別れたのに」
 望月は意地悪く笑って見せた。
「本当にお帰りになるんですか?」
「いや、実はもう少し飲もうと思っていました。月が、あんまり綺麗なので」
 柏木はそれだけで、望月の後を追って来て良かったのだと思った。
 二人で肩を並べて歩き出した。
「望月先生はよくこの辺りに来られるんですか?」
 柏木は道の両側を見廻しながら歩いた。
「よく来ますよ。私の、ホームグラウンドです」
 そう言い終わるか終わらないうちに、望月は一軒の小料理屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
 声が柔らかく望月を包んだのが目に見えたようだった。柏木は望月の後について店に入った。

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