望月はそこが定位置であるとでもいうように、、促されるわけでも確認するでもなく、カウンター席に着いた。柏木はその隣に立った。
「あら、珍しい。連れの方があるなんて」
カウンターの向こうで微笑む女性が、ころころと転がるような声でそう言った。端正な着物姿に、体が少しばかり固くなる。
「うん。同じ学年の柏木先生」
「柏木です。はじめまして」
「こちらこそはじめまして。美夏です。どうぞ、掛けてください」
いつまでもそこに突っ立っている柏木の戸惑いをほぐすように、美夏の声はやわらかかった。柏木は望月の右に腰を下ろした。
「食事は?」
「もう済んだ」
「はい」
望月と美夏の短いやり取りの後、二人の前に小鉢が一つずつ置かれた。豆腐だろうか。スライスされた白く柔らかそうな食材が、青紫蘇と赤いパプリカと交互にに重ねられ、一番上に山葵がちょこんとのせられている。彩りが楽しい。そこに醤油のような調味料がたらされている。
「これは、チーズ、かな?」
「そう。モツァレラ」
望月の問いに、美夏が答えた。
「奈津子さんの調子はどう?」
「大分いいみたい。もうすぐ退院できるって」
柏木もモツァレラを箸の先で切り分け、青紫蘇とパプリカを一緒に口に運んだ。ただの醤油ではない、たまり醤油かなと見当をつけてみる。チーズの濃厚な甘みが、青紫蘇の香りとパプリカの歯触りに引き立てられる。
酒を満たした徳利一本とぐい呑二つがその後に続いた。冷酒を味わうのは久しぶりだ。望月は美夏の酌を黙って受けている。次いで徳利の口が柏木に向けられた。柏木はぐい呑を両手で持ち、いただきますと声にした。美夏は微笑んだ。
奥の一段高い座敷には座卓が三。三和土には四人掛けのテーブルが四。望月と柏木がいるカウンターには、六脚の椅子がある。その時点で男女の二人連ればかり、座敷とテーブル席を合わせて三組の客があった。美夏はカウンターの向こうで忙しく働き、出来上がった料理を客に出す準備をする。この店は二人で切り盛りしているのだろう。美夏は時々店の奥に声をかけ、奥からの返事を聞き、また客に呼びつけられた。カウンターを出ては料理を運び、空いた皿を手に戻って来る。その間を縫って、望月と柏木の手元に視線を走らせている。箸の進み具合を見ては手早く肴を準備し、酒の減り加減を読んでは銘柄を変える。
「いいお店ですね。こっそり隠れていたいような」
「その通り、こっそり隠れていることが多いですね」
横に並んで座っているから、互いの顔は見えない。それでも時の流れに温かさを感じるのは、くつくつと沸き立つ鍋から上がる蒸気のせいばかりではない。
「いつも大勢の人間に囲まれていますからね。時々、一人になりたいと思うときがあって」
望月が指先でぐい呑を弄びながら言った。
「その気持ち、分かります」
柏木はまだ独身だから、学校を離れれば自分の時間をもつことができる。遠距離恋愛ということになるのだろうか。恋人と過ごす時間も貴重だが、一人でいる時間も必要だ。家族がいる望月はなおのことそうなのだろう。