小説 百日紅19 そのとき以来、父との距離を取り戻すことなく月日が積み重ねられてしまった。失われた父との時間は、自分からもっと努力すればすぐにでも取り戻すことができたはずなのではないかとも思える。父も同じだったのではないだろうか。 父との親子丼の思い出が、そ... 2024.09.06 小説
小説 百日紅18 その怖さを、父にも分かってもらいたかった。 しかし、父の前に端座したこのとき、優斗は一連の出来事に対して抱いた恐怖とはまったく別の感情に行き当たった。優斗が最も恐れていたことが起きようとしていた。 父という、慣れ親しんだ大切な人が離れて行っ... 2024.09.05 小説
小説 百日紅17 「そうか、あのときか」「それ、覚えてる」 兄と姉が口々に記憶のなかの光景について話し始めた。 夕日のなかに舞う雪。優斗の記憶があの場面に繋がっていく。 風呂から上がり、綺麗になった体に温かな血が通っているはずなのに、震えが止まらなかった。そ... 2024.09.04 小説
小説 百日紅16 私はふと、二人並んで歩き去る小さな背中を思い出した。そして優斗に、雅臣君は一緒ではなかったのかと尋ねた。一緒だったと答える優斗に、今度はお父さんが雅臣君は今どうしているのかと、問いを重ねた。「まだプールの中」 優斗の震える唇からその答えが返... 2024.09.03 小説
小説 百日紅15 やはりアパートに住んでいたころのことだから、優斗は小学三、四年生だった。 アパートのすぐ隣に、高い塀をはさんで公立高校があった。基本的にはアパートの周りが遊び場ではあったが、近所の子どもたちはしょっちゅう塀を乗り越えて高校の敷地に遊びに行っ... 2024.09.02 小説
小説 百日紅14 「そんなことないわよ。お母さんが忘れられないのは、アパートに住んでたときのこと」 土地と新築の一戸建てを手に入れる前、一家はアパートに住んでいた。母は語り始めた。「日曜日、和室の前を通った時に、お父さんが畳の上で胡坐をかいて新聞を読んでる姿... 2024.09.01 小説
小説 百日紅13 父は春を待った。 母と兄と姉、そして優斗。薄紅色の桜が香るなかを家族四人で歩いた。父が作ってくれた機会ではあるものの、ここに彼自身はいない。 寺の門をくぐる。左右の門柱の脇には、それぞれに立派な杉がそびえている。毎年、盆のころには降りそそぐ... 2024.08.31 小説
小説 百日紅12 じっくりと考える時間などなくても、または瞬間的に諦めずとも、分かっている。可能性がいくらでもあることが。 その言葉は自分に向けられたものではなかったのかもしれない。兄か、姉か、あるいは母と取り違えた可能性もある。もしかしたら朦朧もうろうとし... 2024.08.30 小説
小説 百日紅11 三十分ほどマッサージを続けただろうか。ふと顔を上げると、父がうっすらと目を開いていた。 優斗は息をのんだ。ドアの磨すりガラスを通して、廊下の蛍光灯の光が淡く差し込んでいる。仄暗さのなか、瘦せた眼嵩がんこうに深い陰影を刻んだ父の顔が浮かび上が... 2024.08.29 小説
小説 百日紅10 末っ子であるにもかかわらず、優斗が兄姉きょうだいのなかで最も早く子どもを授かった。 妻の舞も仙台の出身だ。体調が一番の理由だったが、その他の条件もことごとく合わず、出産のために青森から仙台に里帰りさせてやることができなかった。そのため長女の... 2024.08.28 小説