『永遠の花嫁』第二章「粉雪」B10

『永遠の花嫁』

「真理亜さんはその後どうしたんですか?」
 依子は少し話が長くなりますと前置きした。
 真理亜の体に自分の子どもが宿ったことを知って責任感に駆られた男は、青森でいよいよ働き始めた。一九八八年のことだ。椿が生まれて二年ほど経ったころ、三人は上京した。バブルの波に乗っていた時代でもあり、仕事はいくらでもあった。特に建設作業員として働いているうちは仕事にあぶれることなど考えられず、内容の辛さに比例して、家族三人が暮らすには十分な収入が得られていた。しかし、金の余裕が心を弛ませたのかもしれない。男はあるときふと、満ち足りていたかに見えた真理亜との生活を捨てた。そこには、他の女の影がちらついていたという。
「真理亜さんと椿さんは一旦弘前に戻っていますよね。ごく短い期間、父親の貞一さんが保証人になってアパートを借りて」
「はい。そこには、男の存在もあります。堀内(ほりうち)恵一(けいいち)が、この街に帰ってきていました。三人でアパートに住むことを考えていたようです」
「しかし、真理亜さんはすぐに姿を消した。椿さんを残して。そのとき、捜索願は出しましたか?」
「はい、出しました。失踪の翌日に」
 見知らぬ手に背中をさらりと撫でられたような、小さいけれども受け入れ難い嫌悪が、桜田の肌に小さな傷を残した。気を許すな。どこかでそんな声が聞こえる。
「出したんですか? 捜索願を?」
 依子が眉間に皺を寄せた。
「それが何か?」
 それこそ十代の終わりという早い段階で、故郷を捨てて男と逃げた女だ。奔放に過ぎるとして誰からも(うと)まれていた女が、三十代半ばを越えて行方をくらませたとして、誰がそれほどの心配をするというのだろうか。椿の養育をめぐる問題があったものの、一刻を争う類の問題だとは言えない。それを失踪翌日に捜索願を出す判断をしたとは、早急に過ぎないか。
「真理亜さんは毎年電話をかけてきているわけですよね。生きていることが分かっても、捜索願は取り下げなかったんですか?」
「警察に話しても、結局は具体的な捜索など行われませんでしたから、そのまま捜索願を取り下げないでいても支障はないと思っていました」
 刑事さんがこんなふうに真理亜と椿のことを聞きにいらっしゃったということは、二人が何か悪いことでもしたんでしょうか? そう依子が問いかけた。桜田には、話題を変えたようとしているのだとしか思えなかった。
「いえ、特に何も。ただ、ある事件の捜査線上に、真理亜さんの名前が挙がったものですから」
「そうですか。何も関わっていないといいんですが」
「いろいろお話をうかがえて、助かりました。そろそろおいとまします。真理亜さんか椿さんの所在が分かるようなことがあったら、こちらにご連絡ください」
 そう言いながら、桜田は自分の名刺を依子に手渡した。依子は桜田の名刺を眺めながら、ふと口を開いた。
「そういえばついさっき、学校の先生から電話がありました。椿がちょっとだけ通っていた高校の」
 桜田は目を見開いた。あの先生と再び顔を合わせる必要がありそうだ。
 取り急ぎ、弘前西署に依子が出したという、真理亜に対する捜索願について確認しておこう。それから、倉科に連絡を取る。このあと、空の便で捜査本部に戻ることになっている。そろそろ空港に向かう算段をつけなければならないのだが、この土地で調べておきたいことが数多く残されている。いずれまた、ここにも来ることになるだろう。桜田はこの事件の背景がぐるぐると回り出すのを感じていた。

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