「その男はこの件に関することを忘れていました。何せ捜索願など珍しいものではありませんからね、当然のことだと思います」
初めから期待しているわけなどないが、誰かから話を聞いたと切り出されれば、収穫があったものと思う。それがないとなれば、落胆して当然だ。
「でもね、話をしているうちにそういえばひとつだけ覚えている事があるなんて言い出しましてね」
坂本の言葉に、桜田は期待を抱き過ぎないようにと自分に言い聞かせた。
「何を覚えていたんですか?」
「あまりにも辻褄が合っている。弘前に戻ったばかりの姉が、失踪した。だから捜索願を出しに来たという話に、あまりにも整合性がある」
坂本は手元の茶碗をとりあげて茶を一口含んだ。唇を湿らせる、そんな飲み方だった。
「失踪した人間の行動を説明するのに、分からないという表現があまりにも少な過ぎるって。そう言われてこの文書を読み返してみたんですが、経験的に私もそう思います」
坂本の声を聞きながら、文面に目を走らせる。弘前に引っ越してきた姉に再会した場面から始まり、失踪に至るまでのやりとりが続く。当然のように、姉の心情までは分からないとしながらも、表情から推し量った姉の心を、情感を込めて語っている。
捜索願の添付資料によれば、二〇〇五年四月十四日午後七時ころ、川村真理亜は一人で実家を訪れた。顔を合わせるやいなや、絶縁状態にあった実の父親、貞一との間に激しい口論が起こった。その挙句に振るわれた父親の暴力。姉はそのことによって決定的に自分の居場所を失った。そのことを苦にして姿を隠したのだと思える。もともと感情の起伏の激しい性質だから、抑鬱的な感情の波に乗ってしまっていたら、衝動的に自らの命を絶っている可能性も有り得るのではないかと危惧される。捜索願の記述はそう締めくくられている。
坂本は目を細め、口元にうっすらと笑みを浮かべている。ソファに深く腰を埋め直し、短い足を組んだ。にわか仕込みの名探偵が一人、目の前に出来上がっている。
川村依子は、何かを知っている。そして、隠している。
そう思ったとき、以前対面した依子の姿を思い描いた。決して光に満ちた人生を歩んでいるとは思えないその姿を。
「坂本課長、ありがとうございました。貴重なご指摘まで頂いて、感謝します」
桜田の言葉に、坂本はさも満足だという顔をした。
「いえいえ、少しでもお力添えできればと思いましてね。また何かありましたら話してください。協力しますから」
桜田と山脇は礼を述べ、弘前西署をあとにした。
『永遠の花嫁』第四章「牡丹雪」B11
『永遠の花嫁』