この件については、思いがけない人物が絡んでいた。表向きは函館のギリシア正教会の司祭だが、裏の顔は極東を束ねるロシアンマフィアの幹部だ。九十歳を超えた今も、いや、年齢を積み重ねた今だからこそ、絶大な権威を誇る存在だ。もちろん一連の事件については、表側の立場で証言に臨んでいる。この男と面識があった倉科は、二年以上前の段階で、彼が司祭本人かどうかを確認することと、持っている情報を提供することを捜査本部に要請された。そして取調室の隣室に控える方法でその場に立ち会った。
聞き手の刑事が発する問いに対し、男は話し始めた。
「一戸達樹は、川村真理亜と堀内恵一が貞一の家に押し込まれる一部始終を、自分の部屋から見ていた。血のつながらない自分の兄の車で、椿を連れに行ってくれた」
そして、達樹はそのまま自分の家に椿をかくまった。その過程を、我々の教団の青森支部の人間が確認していた。翌日には、状況を説明して一戸達樹のもとから椿を引き取った。司祭はそう証言した。
さらに、「その後の花庵へは?」との問いに、「我々キリスト者は、宗派をはじめとしたさまざまな垣根を越えて互いに協力体制を作っている。それに甘えさせてもらった。椿の日常の警護については、我々と花庵の母体とが交互に担当するというようなことも申し合わせてね」と答えている。
「なぜ、あなたがそんな便宜を図る必要があったんですか?」
「川村真理亜は、私にとって曾孫にあたります。若いころ悲しませてしまった女性との間に生まれた子の、孫です。血のつながりは遠いものの、今となっては唯一の肉親です」
倉科のなかで、一つの謎が解けた。川村真理亜と堀内恵一、そして沢村貞一を殺害した後、島崎はどうして周到に身を隠す必要があったのか。その答えはこの男、司祭の存在にあった。肉親である真理亜が殺されたのだ。この男が黙ってそれを見過ごすはずはない。島崎はこの男の脅威から身をひそめ続けたのだ。
一戸達樹が殺害された事件について、島崎竜司が逮捕された。一戸達樹を殺害した動機について調べが進められる過程で、衆議院議員と都議である榊原親子のスキャンダルが各種メディアに取り上げられ、事実が衆目に晒された。公共事業にまつわる贈収賄事件の詳細が明らかにされるなか、竜盛会との癒着にまつわる一連の社会的な責任が重点的に追及され、執行猶予なしの有罪判決が出された。このことによって、榊原恭一の政治生命は絶たれた。その年齢からして、社会復帰はほぼ絶望視されている。
そしてその息子、榊原駿による椿への継続的な暴行については、刑事告訴の手段が進められていた。しかし、椿が世俗を捨てて一連の事件について駿の罪を追求することに消極的であるため、彼に社会的な責任を取らせるためには無駄ともいえる時間が浪費されることが予想できる。かつ、うまく立件することができたとしても、椿が負った苦痛に比して妥当だと思われるような制裁を与えることは到底できない。倉科としてはこの事実に大いに不満があった。できることならば椿が受けたであろう程度の痛みを、同じように駿の体に刻み込んでやりたかった。それがある一定の期間にわたるようにすることができるのなら、そうしてやりたかった。
同害復讐の原則。
都合のいいときにだけかつて自分が足を突っこんでいた世界の道理を引き合いに出そうとしている。倉科は、そんな自分を心で笑った。
『永遠の花嫁』終章「薫風」2
『永遠の花嫁』