今回は私の「お気に入り」、よく入り浸っていた空間とそこで読んでいた本について書きます。この原稿を書くのは毎回決まって午前1時から4時の間です。個人差があることでしょうから一概には言えませんが、こんな時間にはよくかつての自分の姿を思い出すものです。特に今よりももっと自由だったころ、端的に言えば時間的な融通のききやすい学生のころに通った場所については、回帰の願望が強いためか、よく思い出されます。高校3年の夏、私は部活動を引退していよいよ受験勉強に取りかからなければならない時期を迎えました。自宅では何かと誘惑が多く、学習に集中することができないと判断した私は、図書館に通うことにしました。夏休みなどの長期休業中はもちろんのこと、平日でも学校の帰りに立ち寄って図書館の学習室を利用していました。静謐ななかにも時折遠慮がちなささやき声が広がる空間は、人の温もりを適度に感じることができる快適なものでした。この図書館がすっかり気に入ってしまった私は、大学入学後も時折訪れては本を読み、レポートを書き、学習に励むことができる場所として何度も利用してきました。
大学生になってアルバイトをするようになり、少しだけ金銭的な余裕ができた私は、図書館からの帰りに喫茶店に立ち寄るようになりました。そこでは自家製チーズケーキとコーヒーのセットを注文し、電車に乗るまでの時間を好きな本を読んで過ごしました。今となっては信じがたいほど贅沢な時間の使い方をすることができていたのです。あるとき、たまには違うものをと思い立ち、メニューにある別の飲み物を注文しました。アイリッシュコーヒーです。グラスにホットコーヒーを注ぎ、砂糖を入れ、アイリッシュウィスキーを適量注ぎます。その上に砂糖を加えて泡立てた生クリームを浮かべて完成です。ウィスキーが入っていますから、体が芯から温まるような心地良さを味わうことができました。記憶の中の私は冬の服装をしています。季節はまさにアイリッシュコーヒーに適していました。それを初めて口に含んだときの感動は、今でも忘れることができません。コーヒーの苦みと生クリームの甘さが口の中で溶け合い、そこにウィスキーが割って入り、豊かな味わいを全身にしみ渡らせるのです。最近ではメニューにアイリッシュコーヒーを入れている店はなかなかなく、仮にその名を見つけることができたとしても、同じように好みに合う味には出会えません。自分でも淹れてはみるのですが、あの味を再現することができないままです。
アイリッシュコーヒーを味わいながら過ごす至福のひとときに読んでいたのが、『小説の方法』です。この本は「一 小説への疑問(序論として)」から始まり、日本の小説をめぐる諸問題を様々な角度から検証しています。その手法は西洋の小説との比較であったり、あるいは歴史的・社会的事象への回帰であったり、実に多岐にわたっています。著者である伊藤の、あらゆる分野にまたがった知識が詰め込まれた記述を理解するためには、それに見合うだけの識見が必要とされます。理解したつもりになって読んでいるとやがて理解が及ばない壁に直面するというような、手痛いしっぺ返しを食らうことになるのです。知識量が絶対的に少なく、一度読んだだけでは理解することができなかった学生のころの私は、専門書を調べつつ、何度も何度も読み返しては少しずつ理解を重ねていくような読み方を続けていきました。例えば「一三 附随的な推定群」と題された章では、難解な伊藤の思考が何の予備知識も与えられないまま読者に突きつけられます。「文化的な社会は、原衝動を抑制し、仮託して、いよいよ肥大させ、拡大させてその充足に向かっているのではないだろうか。酒、タバコ、スポーツ、芸術、爆薬、飛行機」あるいは「ヨーロッパは第二次戦後、有閑有産人の崩壊、サロンの死物化によって、真の人間を孤独の中に、または政治組織の中に投入しつつあるのではないか。とすればヨーロッパ小説の形式は変る」といった具合です。分からないながらも何度も読み返し、少しでも理解することができたと感じられたとき、本を読んで学ぶことの面白さを知ることができたように思います。この思いはアイリッシュコーヒーのように、私の体の芯にしみ込んでから全身を温めてくれるような力をもっていたように思えるのです。
図書館を好み、アイリッシュコーヒーを味わうために喫茶店に通い、繰り返し『小説の方法』を読むことによって作りだすことができていた時間と空間は、三つの「お気に入り」のうちどれかが欠けても成立させることができなかったものなのではないかと思います。特に、『小説の方法』と格闘した記憶は、私の中に小説に対する涸れることのない興味と愛着を抱かせてくれました。人間は知識を欲する動物です。分からない事柄を理解するための努力は、その過程を楽しみこそすれ決して嫌々ながらに進められるものではありません。基礎的な知識の伝達に主眼を置いてしまえば、高校までの教育は嫌々ながらも学びとらなければならないことでいっぱいです。このことに関する賛否については別に論を待たなければなりませんが、自ら選んだ分野に対する興味をそのまま学びの対象とすることができる環境に、世の学生たちが少しでも多く身を投じることを願わずにはいられません。それにしてもあのアイリッシュコーヒー、美味しかったなあ。昨年、出張の折に立ち寄ったときには、同じ場所にあの喫茶店は無くなっていました。もう二度とあの味に出会うことができないと思うと、残念でなりません。それでも、全く同じ味は望みませんから、納得のいく味のアイリッシュコーヒーを飲むことができるお店を探し続けることにします。そしてまだまだ探究の余地にあふれている『小説の方法』をそのお店に持ち込んで、もう一度「お気に入り」の時間と空間を作り上げることを、今後も密かに目論見続けていくことにします。
51.『小説の方法』 伊藤整著 筑摩書房 1989年11月25日初版第1刷発行
書評