みなさんは何か「ひそやかな」楽しみをもっていますか?
「ひそやかな」と言うと何やらいかがわしいニュアンスが含まれてしまいますから、「ささやかな」楽しみと言い換えた方がいいかもしれません。ちょっとした時間にこれをしていると心が休まるとか、これを使うと不思議と作業がはかどるとか、何か自分にとってプラスになるような時間をもつことができていますか? そう訊ねた方が気楽に自分の姿を想いめぐらせることができるかもしれません。私は最近になって、万年筆を好んで用いるようになりました。近頃の私にとって、気に入った万年筆を使って字を書くことが「ささやかな」楽しみになっているのです。
数年前、ある百貨店の初売りに出かけた折、国内文具メーカーの万年筆の福袋に出会いました。そろそろ恒常的に使用することができる、しっかりとした筆記具が欲しいと思っていた矢先でしたので、店員さんにあれこれと訊ねた上でついに購入することにしました。メインとなる万年筆はあらかじめどの商品が入っているかが分かっていましたし、同じ商品の別の個体で試し書きまでさせてくれたのですから、万年筆そのものを気に入りさえすれば購入後に失敗したと思うようなことはありません。しかも万年筆本体の通常価格でインクや革製ケースなどの関連商品数点が一度に手に入るのですから、お得な買い物です。金額的にも許容範囲だったので、意を決して購入しました。家に帰ってさっそくインクを充填し、文字を書いてみました。これがえらく楽しいのです。書き味が滑らかなことはもちろん、紙に染みこむインクの色(商品名は「露草」)が実に美しく(決して私の字が美しいわけではありません)、楽しさのあまりつい誰かに手紙を書いてみたり、読んでいる本の一節をノートに書き写してみたくなってしまうのです。
日々の生活に本が欠かせない私にとって、読書そのものが生活の中の「ささやかな」楽しみのひとつになっています。例えば出張やちょっとした外出の際に本を読みたくなることがあります。もしも手元に本がないのなら、書店に入って購入することも珍しくはありません。そしてなぜか、こんなときには短編集が読みたくなるのです。しかも新しい作品に出会うことよりも、「こんなときこそあれを読みたい」というように、よく馴染んだ文章に触れたくなるのです。自然、すでに所有している本を、分かっていながらもう一冊購入することになります。そんな本の代表格が、『新編 風の又三郎』なのです。賢治が描く物語の世界は、どうしてこんなにも無垢なのでしょうか。ときには傲慢で身勝手な人間のために、美しい心をもった誰かが命を削ってその人間を救おうと行動を起こすのです。「グスコーブドリの伝記」に描かれた主人公の無垢な心の行く先は、人々の生活を救うための自己犠牲です。主人公であるグスコーブドリとその妹は、幼い頃から激しい孤独や絶望を強いられてきました。しかし成長したグスコーブドリの心の中には、過去に対する恨みはひとかけらも見当たりません。むしろ出会った人々に対する感謝さえ感じられるのです。そしてただ真っ直ぐに、他人のためにその命が燃やされるのです。私は初めてこの物語に触れた幼少期から今に至るまで、読むたびに心が洗われる思いにひたってきました。そして自分の考えや行動のなかに、よこしまさが差し挟まれていないか、点検するような視点をもたされるのです。グスコーブドリの行動に照らし合わせ、彼の命の燃やし方に感じ入る心の有無を自分のなかに確認するテキストとして、ぜひ多くの方々に「グスコーブドリの伝記」を読んでもらいたいと思うのです。
私の本棚に並んだ複数の『新編 風の又三郎』のうちの1冊には、特別な役割が与えられています。それは「書きこみ」です。自分にとって重要な意味をもつ言葉、疑問に思った点やそれに対する解答、これはと目を見張る素晴らしい表現。とにかく思いついたことを何でも本に直接書きこんでいます。しかし私の場合は、本であれば何にでも書きこみができるわけではありません。何冊も同じものがある『新編 風の又三郎』だからこそ可能な読み方なのです。そしてこの作業に、最近では例の万年筆を用いています。今は初夏に合わせ、「紺碧」と名づけられた色のインクを使っていますが、これが少し黄味がかった文庫本の紙質によく合うのです。書きこみによってその本のページが美しく装飾されているようにさえ思えるのです。好きなもの(万年筆)を好きなこと(読書)のために自由に使うことの幸せが、書きこみが施されたそれぞれのページを美しいと思わせてくれているのでしょう。今度文房具店に行くことがあれば、別の色のインクを見てこようかと思っています。この季節に合う、夏の風のような色のインクに出会える「ささやかな」楽しみが待ち遠しくてなりません。
48.『新編 風の又三郎』「グスコーブドリの伝記」 宮沢賢治著 新潮文庫 平成19年8月30日23刷
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