『永遠の花嫁』第五章「終雪」A8

『永遠の花嫁』

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 三月十二日月曜日、夜の八時を回ったころ。来訪者を知らせる玄関のチャイムが鳴った。倉科はインターホンのカメラに映った姿が桜田のものであることを確認した。ドアを開けるために、環が玄関に向かった。その場でいくつかの言葉が交わされた後、桜田が環に促されながらリビングに姿を現した。新幹線を降りた後にこの街で別れたのが、倉科にはつい先刻のように思える。実際には中一日を挟んで二日ぶりの再会となるが、その間に倉科は東京で一連の事件の捜査を大きく動かす物証を探しあてている。おそらくそのことで話を聞きに来たのだろう。
「どうぞ、そこに掛けてください」
 倉科は桜田に一人掛けのソファに座るようにすすめた。桜田はそれに従った。
「それで、ご用件は何でしょうか?」
 環は桜田の前に茶を置いた。一通り彼女を迎え入れる作業を終えるとエプロンを外し、ダイニングテーブルの椅子の背にかけた。そして静かな足取りで二階へと続く階段を上がっていった。大切な話はできるかぎり倉科から直接聞く。そう願う環の行動には、倉科に対する頑ななまでの信頼が貫かれている。
「この件、『渋谷新聞記者刺殺事件』を取り仕切る警視が、私にこれ以上あなたには近づくなと忠告しました。彼がそんな風に言う理由は何でしょうか?」
 倉科は腕を組んだ。考える素振りを見せてから、答えた。
「全く心当たりはありません」倉科は思いのほか低く声が出たことに、自分でも驚いた。「私の考えが及ばない理由があるのかもしれませんが」
 常に否定することだけを準備してきた。今更過去の自分を肯定し、誰かの目の前に曝け出そうなどという発想は起こり得ない。そう決めて生きてきた。過去の自分を隠し、現在の自分だけを肯定する態度は、今や心にも体にも自然に刷り込まれている。それを、過去の一部をともに生きた桜田にだからといって、いや、桜田にだからこそ、そう易々と見せるわけにはいかない。
「そうでしょうか。佐藤警視から直接、倉科先生との接触を避けるよう指示されたということは、あなたの存在そのものに何かしらの特別な意味があるようにしか思えません」
「それは私が一般人だからでしょう。捜査関係者ではない人間をこれ以上事件に関わらせるなというような」
「確かに、佐藤警視もそのように言っていました。しかし、現にあなたのところで事件が動いているのはなぜでしょう。島崎竜二でさえもこの土地にやって来ている」
「何度も言いますが、それは単なる偶然です」
「いえ、たとえ意図していなくても、何らかの形であなたはすでに事件の歯車の中に組み込まれているはずです」
 倉科自身、それが一戸達樹や八鍬の所為(せい)であることを知ったばかりだ。桜田の言っている通り、自分では意図しないうちに事件の歯車の中に組み込まれている。
「今日はこの時間まで、どちらにいらしてたんですか?」
 倉科は口をつぐんだ。その様子に気がつき、桜田が続けた。
「これはあなたが見つけたそうですね。東京(・・)()」桜田は開いていたパソコンのディスプレイを倉科が見えるように動かした。そこには、例のポジフィルムから焼き出された写真が映し出されている。「私の方にも収穫が。依子が子どもを産んでいたことが分かりました」
 わずかに目を見開いてしまったのが自分でも分かる。
「誰との間の?」
「堀内恵一という男です」
「どんな男ですか?」
「端正な顔立ちの、いい男だった(・・・)そうです。地元ではちょっとした有名人でした」

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