『永遠の花嫁』第五章「終雪」A14

『永遠の花嫁』

 肉体という本来の器の中に、第三者の手によって新たに書き換えられた精神、あるいは記憶を詰め込む作業には、実に多くの時間と労力とが割かれた。しかしそこには、新たな桜田を創造する側の、明確で力強い意思が存在していた。桜田を事件前の状態に回復させるためのプロジェクトに関わった人間たちの彼女に対する思いには、償いといたわり、そして感謝があった。妹という名の偽りの器づくりには、それこそ数多あまたの嘘が注がれた。しかしその嘘の一つひとつには、桜田に対する限りない願いがあった。
 決定的なダメージを負った精神と肉体の記憶を蘇らせないために、桜田に双子の妹の存在を信じさせることになった。人が自分だけでは解決しようのない困難に直面した際、意識を別の方向に飛ばすことで自分を成り立たせるという事例を踏まえ、新たに設定した妹という名の器に桜田自身の心と体に刻み込まれた負の記憶を封じ込めた。その結果桜田本人が経験した現実を架空の妹の身に降り注いだものとして、桜田の体の外に逃がすことができた。妹が内偵捜査の際にクスリの影響で心身ともに重篤なダメージをこうむったことにすれば、桜田は自らの体験の呪縛から解き放たれ、新たな人生をより一層歩みやすくなる。そのための準備の一環として、妹の存在を桜田の記憶の中に植え込むのと同時に、桜田のなかから本来の桜田自身を消し去る作業が必要とされた。
 桜田の再生を目指すプロジェクトに類似するケースは、それまで誰一人として経験したことがない。にもかかわらず、桜田の心身を襲った恐るべき負の記憶を偽りの妹に移植する作業を中心として、プロジェクトに関する一連の過程がことごとく実を結んだ。どれか一つをとっても奇跡的だと称することができる成果が結実した対象として、宗教的な何かに守られた印象が根付いた。そして桜田は誰からともなく、『永遠の花嫁』と呼ばれるようになった。
 しかし一方の倉科に対しては、桜田に過去を思い出させるトリガー(引き金)となることが懸念された。この段になってようやく、倉科に新たな生活を構築する理由が生まれた。いつの日にか自由をと望んでいた倉科にとって、仕事から離れること自体は喜ばしいことだった。だが、桜田のそばに居ながらにして支え続ける道は閉ざされた。彼女に心身両面の重傷を負わせてしまった責任が倉科にはあった。彼女のことを思えばこそ、自ら身を退くことに何の違和感もないはずだった。しかし現実には、自分の体のなかに痛みだけが残るのを感じないわけにはいかなかった。仕事を変え、東京を遠く離れることが求められた。そして互いを求め合う心につき従い、倉科は環と結婚した。
 晩冬、あるいは早春の星のまたたく夜。過去を振り返った自分を、倉科は笑った。

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