依子は高校を出て地元の保険会社に事務の職を得た。その後三十歳のとき、父親の貞一が倒れたのを機に近くのスーパーでレジ打ちのパートを始めた。その生活サイクルが三年間続いたのち、今の状況に落ち着いている。依子は他人のために生きてきた。もしくは、他人のせいでその時々の生活を強いられてきた。姉の真理亜が奔放に生きてきた分だけ、その皺寄せを受け入れることを余儀なくされてきた。
光と影。真理亜と依子の間には、そんな構図が浮かび上がる。
達樹と椿は二人とも、親の都合に振り回された生活を強いられてきた。彼らもまた、影の中に生きることを運命づけられてきたと言えるのではないか。
しかし、人一人の人生は、そんな簡単な構図の中に当てはめられるものではない。どこかに隠された逸脱が、この事件を取り巻く人間達の中に隠されているように思えてならない。
「あっ」
ふと、自分の中で何かが繋がったのが分かる。錆ついて途切れていたはずの銅線に、電流が走った。桜田は弾かれたように立ち上がった。
「どうしました?」
山脇の問いには答えず、桜田は達樹の部屋を飛び出した。階段を駆け降りると、和人がソファに座りながらテレビを見ていた。
「依子は、川村依子は、あの家を出てどこか他の町に住んだことはありませんか?」
和人は桜田の問いを反芻し、それに対する答えを探しているように見えた。
「この町を離れたことはない。そう思いますが」
桜田は和人の中に埋もれている記憶を掘り出すことの可能性に期待した。
「今から二十四年前、ちょうどあなた方が達樹君を養子に迎えたころ」
それは依子が堀内恵一と関係をもっていたと考えられるころだ。
和人が釈然としない顔をしている。やがて、思い至った。
「そういえば、あなたが言うような時期に、依子さんを見かけなくなったことがありました」
「どうしてその時期だと?」
「あなたが今言ったとおり、達樹を養子にしたので。いざっていう時には近所の助けがいるだろうから、紹介しておこうと思ったんです」
「そして?」
「確か夜だったと思うんですけど、訪ねて行ったら貞一さんしかいなかった。依子さんにも直接話して頼んでおきたいって言ったら」
「いないって?」
「そうです。相手の自由だからそれ以上訊かなくてもよかったんですが、話の流れからかな、どこに行ったんだと訊いた記憶があります」
「貞一さんは何て?」
「とにかくしばらくは帰って来ないって言っていました。理由も行き先も話してくれませんでしたが、何か訳があるんだろうなって思ったことは覚えています」
「その、訳について思い当たるようなことが?」
「それはありません」
「帰ってきたのは?」
「半年以上はいなかったんじゃないでしょうか。でも、ちょうどその年の初雪が降るころには帰って来てたと思います」
「それは間違いない?」
桜田は念を押した。
「はい、恐らく。やはり、雪の景色が重なるので」
桜田は、体が熱くなるのを感じた。その熱が、手の平に汗を握らせた。
「分かりました。どうもありがとう」
桜田はそう言うと、立ち上がって二階へと駆け上がった。部屋に取り残されていた山脇が、戻って来た桜田にすかさず問いかけた。
「桜田さん、突然どうしたんです?」
桜田は昂ぶっていた。山脇の言葉尻に声が重なった。
「山脇はここにいて、監視を続けて」
今度は山脇が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「桜田さんは?」
「私は長野に飛ぶ」
「長野に? また留守番ですか? 嫌ですよ」
出来の悪い弟のようだ。
「仕方ないでしょ、こっちも目が離せないんだから」
島崎竜司。桜田は手負いの獣がこの地にやって来ると踏んでいる。
犯罪者は、自分が関わった事件の周辺に身を置きたがるものだ。それは放火犯が現場に足しげく通う心理に似ている。要は恐いのだ。自分の知らないところで事が運ぶのが。だからこそ、島崎はかつて自分が関わった現場、川村依子の住む家に身を寄せる可能性が高い。あるいはすでに潜伏しているか。いずれにしても、倉科が東京で発見した写真がその可能性を裏付けている。桜田の脳裏に、この土地に島崎が姿を現す光景が湧きあがる。
「ここが最も重要な拠点。そう思って。私を信じて」
山脇は桜田の目を見た。それから答えた。
「分かりました。ここを守ります」
桜田は腕の時計を見た。まだ午前十時半だ。飛行機の連絡が良ければ、今日中に長野の松本に着くことが出来るだろう。
「すぐに発つ。今からなら今日中に貞一の実の妹に会えると思うから。車のキーを貸して」
桜田は山脇からレンタカーのキーを受け取った。窓の下に置いていたショルダーバッグとコートを引っ掴み、一戸家の玄関を出た。
『永遠の花嫁』第五章「終雪」B2
『永遠の花嫁』