『永遠の花嫁』第五章「終雪」B7

『永遠の花嫁』

 こめかみを襲う痛みが、刻一刻と深く重くなっていく。いよいよ意識が遠退きはじめたとき、懐かしい光景がよみがえった。車を運転する倉科と、助手席に座る自分。二人とも笑顔だ。
「桜田さん、しっかり」
 繰り返される倉科の声を聞きながら、彼に激しく体を揺り動かされた。さらに、肩口を拳で力強く殴られた。そのことによって、一瞬の混迷から現実に引き戻された。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「今は急ぎますよ」
 桜田は頷いた。H町までは二十分とちょっとで着く。ほどなくして倉科の声が桜田を呼んだ。
「桜田さん、着きましたよ」
 その声に、桜田は自らの事実を把握した。今はただひたすらに、島崎竜司の身柄を確保しなければならないという自分の役割を。
「ありがとうございました」
 桜田は助手席のドアを押し開いていた。その時、右手首を倉科が掴んだ。その瞬間、桜田の体を赤い炎が貫いた。
「くれぐれも気を付けて」
 倉科の手が離された。桜田の腕のその場所が、倉科の手の形に見えない火傷を負っていた。
 自分の体を車外へと押し出す倉科の言葉に従うほか、桜田に与えられた選択肢はない。助手席のドアを大きく開け放ち、桜田は今度こそ外に出た。ドアを閉めると、倉科の車は静かに後退した。一旦どこかの家の庭先に車体を入れると方向を変え、走り去っていった。
 倉科がその場から立ち去る事実に覚えた動揺を、桜田は認めたくはなかった。しかし、頭の中の血液がすべて抜き取られてしまったかのように、思考は失われた。そんな自分を振り払うかのように、桜田は踵を返した。そして歩き出した。
 早く早くと気持ちが(はや)る。体を動かしていないと頭が割れそうに痛み始める。
 なぜこんなふうになってしまうのか、自分でも分からない。しかし、切り替えなければならない。今、ここに倉科はいない。いない人間の存在にまごつくほど、私は馬鹿ではないはずだ。桜田は自分に言い聞かせた。思考を呼び戻し、深く息を吸い込んで呼吸を整え、足に意志の力を込めた。一連の流れを的確に山脇に伝え、もうすぐ起こるであろう劇的な変化に対応しなければならない。今この機会を逃してしまっては、取り返しのつかない事態に陥ることは必至だ。桜田は唇をきつく引き結んだ。
 玄関を上がり階段に足をかけようとしたそのとき、階上から山脇が顔をのぞかせた。
「お帰りなさい」
「いよいよね」
 階段を上がりながら、あえて翌日の祭りを楽しみに思うような声を出した。
 達樹の部屋に入ると、暗がりの中にもう一人の影が動いた。弘前西署の伊藤だった。
「何か動きは?」
「残念ながら、特に何も」
「この三日間、買い物の頻度は基本的に一日一回です。毎日、夕方五時に家を出ます。依子の年齢の女性が一人で暮らしているのなら、そう毎日買い物に行かなくても済むはずです」
 伊藤が依子の買い物先に尾行した結果としてもたらされた情報だ。

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