『永遠の花嫁』第五章「終雪」B6

『永遠の花嫁』

「長野県白馬村に、貞一の妹、依子からすれば叔母が住んでいます。名前は里見千代。そこで」
「それが?」
 その子が誰なのか。倉科はそう訊ねている。
「死産でした」
 倉科の顔が歪んだ。
「その子の父親は?」
「行方不明の堀内恵一で間違いありません」
「なぜ依子はそんなことをしたのでしょう?」
 倉科は『そんなこと』の中に、堀内恵一との関係を含めた。
「それは、あくまでも依子にしか分からないことです」
 恵一を求めた依子の心理を表現しようとすればするほど、桜田には陳腐な言葉しか思い浮かばなかった。問いを発した当の倉科にしても、明確な答えを求めているようには見えなかった。
「家宅捜索の開始時刻は?」
「もう間もなく、十一時です」
 桜田の腕の時計は、すでに午後八時半を過ぎている。
「それなら、ここでこんな話をしている場合ではないでしょう? すぐに現場に戻ったほうがいい」
 倉科は、椅子を立つように桜田を促した。桜田は立とうとした。しかし、上半身がぐらりと揺れた。倉科はとっさに桜田の体を支えた。
「乗ってきた車はここに置いて。私が送ります」
 桜田はバッグを手に、倉科に支えられたまま玄関に向かった。靴を履き、連れ立って外に出た。倉科が助手席のドアを開け、桜田を車に乗せた。そして運転席に体を滑り込ませ、静かに車を出した。
「まずは山脇に知らせておきます」
 桜田は何とかして本来の自分を取り戻そうとしながら、言葉を噛みしめるように口にした。レンタカーのキーを倉科に預けたあと、おぼつかない手つきで携帯電話を開き、山脇に電話を入れた。山脇は桜田からの連絡を待ち構えていたのか、すぐに応答した。
「何か変化は? そう。それでも十分に注意して。私も今、向かう。詳しくは後で」
 シートに体を預けながら、窓の外に流れる光の粒を眺める。幸いにも、車道に雪は積もっていない。車体が風を裂き、タイヤがアスファルトを切りつける音だけが、低く静かに車内に流れ込んでくる。
 今こそ訊きたいことがある。桜田は心を決めた。
「先生に、一つお訊きしたいことがあります」
 自分の目は、ある種の覚悟を身にまとっているに違いない。桜田はそう思った。前方に向けられた注意を失うことなく、倉科は心もち左側に首を回した。
「この事件の捜査を取り仕切る佐藤が、先生と私が接触するのを恐れています。その理由を、先生はご存知ですか?」
 闇が音を呑み込むような静寂が車内を満たした。
「いえ、全く心当たりがありません」
 待ちわびた答えはそっけないものだった。あなたはいったい何者ですか? 本当はそう訊きたかった。私をこんなにも臆病にしてしまうあなたは。声にならない想いが宙を彷徨う。

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