『永遠の花嫁』第三章「八朔の雪」A6

『永遠の花嫁』

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 入院中の達樹の世話は、母親である葉子の役割となった。父親は達樹に拒否されていたからではあるが、見舞いにすら訪れることはなかった。その関係もあり、退院の際に達樹を病院に迎えに行ったのは、他でもない倉科だ。退院当日、葉子と達樹を車の後部座席に乗せ、わずかばかりの荷物と一緒にH町の自宅に向かった。
「先生、よかったら俺の部屋に寄って行かない?」
 達樹を車から下ろしたところで、この日の倉科の役目は終わっていた。倉科を引き留めるその声は、倉科にとっては意外なものだった。
 二階に続く階段を、達樹が前になって上った。倉科はその後に続いたが、昔ながらの木造家屋の階段は傾斜がきつかった。
「どうぞ」
 達樹が押し開いたドアの内側は、物があるべきところに収められ、きちんと整頓されていた。その完成度は一時的なものではなく、常にそのようにあることをうかがわせた。それとなく本棚に触れても、僅かな埃さえ指先につくことはなかった。
「今、お茶を持ってくる」
 その物言いがあまりに穏やかだったので、思わず達樹の顔を見た。その視線に微笑みで応じ、達樹は階下に降りていった。
 本人がいないのに部屋をあれこれと物色するわけにもいかない。倉科は座布団に腰を下ろしたまま、視界に入る光景だけに視線を巡らせた。大学受験の参考書類、しかも医学系の大学、学部に関するものが多い。進路に関する調書や面談では常に文系の大学や学部を志望してきたはずだ。その差異に良い予感はなかった。階段を上がる音が聞こえ、やがて盆を手にした達樹が戻ってきた。「ずいぶん本を読んでるんだな」
 達樹は不思議そうに倉科の顔を見たが、倉科が手で本棚を指し示すと、合点がいったというように「ああ」と短い声をもらした。
「ここはもともと兄貴の部屋だったんだよ。本も大抵は兄貴の」
「お兄さん?」
「兄貴は医大を卒業して、医者になった。こんな家だからね。奨学金をもらったりそれなりのアルバイトをしたり、卒業するまでとても苦労して。内科医として東京都内の総合病院に勤めてた」
「勤めてたって?」
 達樹が兄の存在を過去形で話した部分に、倉科は食いついた。
「死んだんだ」
「えっ?」
 その口調はあまりにも客観的だった。
「一人暮らしのアパートで、首を吊って」
 義理とはいえ、兄を自殺によって失った弟にかけるべき言葉が思い浮かばず、倉科は口を(つぐ)んだ。その場都の悪さを補完するように、達樹は自らの兄について語り始めた。

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