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三月十二日、月曜日。山脇とは弘前駅構内のカフェで待ち合わせていた。彼は日本航空一二〇一便を使う予定だ。その到着時刻に合わせた、青森空港から弘前駅前ターミナルに向かうバスの到着時間は十時四十二分だという。駅舎内の二階、改札を出たすぐ右手にあるカフェで待っていることを、前日に申し合わせていた。
約束のカフェまでは、駐車場から歩いて五分もかからない。レンタカーのドアを閉め、桜田はゆっくりと歩き出した。
自動ドアをくぐると、店内に客の姿はまばらだった。桜田はカウンターでエスプレッソを注文した。高圧で抽出された黒い液体は、おもちゃのように小さなカップに少しだけ注がれている。時々これを舐めるように飲みたくなる。
椅子に腰を下ろしてバッグを膝の上に載せた。中から地図と捜査ノートとボールペンを取り出し、この日鑑取りに回りたいと思っているルートを確認する。鑑取りを疎かにしてしまうと、得られるはずの情報を取りこぼしてしまう。場合によっては必要な情報を得られるはずだったことにさえ気がつかずに終わってしまう。すべての対象への聞き込みを終えるまで、数日かけて取り組む必要があるかもしれない。そう考えながらボールペンの尻を顎に押し当てて捜査ノートを眺めていた。
「おはようございます」
いつの間にか、ブリーフケースを手にした山脇が桜田の横に立っていた。
「おはよう。あら、痩せた?」
山脇に会わなかったのはたったの三日間だ。その三日間で様子が大分変ったように見えるのは気のせいだろうか。
「そんなに変わってないはずなんですが、確かに体重は減りました。一キロほど」
たった一キロの変化にしろ、桜田の見立て違いではなかったようだ。
「私もコーヒーを買ってきます」
そう言って一旦桜田のもとを離れ、山脇はカウンターに向かった。ブレンドを注文する声が聞こえる。山脇はトレイを使わず、カップだけを手に戻ってきた。
「さっそくだけど、見せて」
山脇はブリーフケースを開いて中から茶封筒を取り出し、桜田の手に渡した。
桜田はそれを受け取り、ゆっくりと紐を解いた。藤本のクリニックで話を聞いた、タヌキとゴリラの姿をいよいよ目の当たりにする。
八つ切りの大きさに拡大された二枚の写真は、年配者であるタヌキの方を上にして重なっている。タヌキのこれまでしてきたことを知ってしまっているからか、目の下のたるみと、それとは逆に深く落ち窪んだ頬のラインとの不整合性が、この男の邪悪さを物語っているように思えてしまう。
桜田は二枚目の写真を上にした。目の下のたるみこそまだ見られない。しかし、えらの張った横広がりの輪郭にあてがわれた削げ落ちた頬と、残忍な光景を必要以上に見てきたはずの大きな瞳が、父親以上の陰湿さを含んでいるように見えてしまう。
「父親は榊原恭一。息子は駿」
桜田はまぶたを閉じた。このまま写真を見続けてしまえば、自分の中にふつふつと沸き立つ怒りがとめどなく溢れ出してしまいそうで、怖かった。
タヌキとゴリラ。
藤本のクリニックで聞いた話の上に、心と体の苦痛に耐える想像上の椿の姿を重ねてしまう。榊原駿の行為に顔を歪める椿の姿が、死んだ妹の姿と交錯する。そしてその顔は、双子の姉妹の一方である自分の姿とも重なる。全身から、じわりと汗が滲み出る。
なぜこうも自分がむき出しになろうとするのか。一戸達樹殺しを追う中で、ずっと感じ続けてきたことだ。これまでも他の事件を扱うなかで思わず感情的な行動を取ろうとしてしまったことはある。しかし今回ほど自分の在り方そのものに迷いや後悔が生じたことはない。なぜ今回に限って。事件を取り巻く周辺に思いを馳せても、答えが見つからない。
「桜田さん」
山脇が自分を呼ぶ声に、桜田は意識を現実に引き戻すことができた。
「今日はどこをどう回りますか?」
「ああ、そうよね。それをこれから」話さなくてはならない。桜田は自分の捜査ノートを広げた。昨夜のうちに立てておいたプランを図示したページを開き、ボールペンの先でそれぞれの個所を指し示しながら鑑取の計画を山脇に伝えた。
「まずは弘前西署へ、依子が出した真理亜の失踪届を確認しに行くんですね」
桜田は頷いた。
「それじゃあ、もう出ましょう。十一時半になりますよ」
「そうね」
桜田が前になり、山脇と二人で外に出た。
『永遠の花嫁』第四章「牡丹雪」B9
『永遠の花嫁』