『永遠の花嫁』第四章「牡丹雪」B6

『永遠の花嫁』

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 東京駅から新青森駅間の新幹線を経て、弘前駅にたどり着くまでの間、倉科と過ごした時間は桜田をひどく消耗させた。
 倉科が口にした『古い友人』が誰なのか、会って何を話すのか、それを知るために張り込みを始めたのが午前零時。ちょうど二十四時間前だ。宿泊したホテルを出た倉科の尾行を始めたのが午前十時。それから半日を共に過ごして、ようやくこの日一日が終わろうとしている。
 倉科の存在自体を知人のようにあるいは全くの他人のように、近くにも遠くにも感じることへの違和感に悩まされてきた。そこに、自らの刑事としての役割に対して抱く無力感が加わった。あるいは寄せては返す波のように我が身を(もてあそ)ぶ頭痛に、桜田の精神的肉体的な基礎体力がことごとく奪われ続けた。新幹線の中では倉科と話をしたいとは思うのに、近くにいるだけで疲れ果ててしまう自分をどうすることもできずにいた。そんな自分を紛らわせるためにホテルの予約を済ませ、レンタカーを準備するよう弘前西署に連絡を取った。しかし、そんなささやかな作業をいくつ積み重ねたところで、桜田を大きく揺り動かそうとする力を食い止めることなどできるはずもなかった。
 ホテルの部屋に一人きりになり、ようやくほっと一息ついている自分を知る。しかし、本格的に心と体を休ませる前に、この日一日の捜査上の成果を山脇と共有しておく必要があった。桜田は山脇に連絡を取った。
「通信記録から、森下礼子がクスリを購入していた相手を特定することができました。やはり、田辺康之です」
 通信に関する情報は、電話会社の協力によって入手することができる。それは固定回線だけでなく携帯電話についても同じだ。
 桜田は初犯の際に撮られた田辺の顔写真をコンピューターの画面に映し出しながら、その経歴をチェックしている。
 気分がすっきりするから。やせられるから。少し試して、止めたければすぐに止められる。
 金色に染め上げた長めの髪を後ろに撫でつけ、顎ひげを生やした吊り目の男が、都会の路地で言葉巧みにパケ入りのクスリを売りさばく姿が目に浮かぶ。男となく女となく、主に年若い連中の好奇心に巧みにつけ込み、少量を手頃な単価で売りさばく。迷っている様子を見せれば媚びるような軽い口調で、クスリを楽しむ行為そのものがたいしたことではないと印象づける。まったく興味を示さない相手にはすれ違いざまに舌打ちのひとつでもして、その後ろ姿を見送るのだろう。自分自身の存在の軽さを棚に上げ、自分にとって都合のいい相手とそうでない人間との存在価値を区別してはばからない男。そんな男が、コンピューターの画面の向こうからこちらを見ている。
 桜田は画面に映し出された画像から、田辺という男の仕草や言葉遣いを想像してみる。その一方で、電話越しの山脇の声にも意識を集中させる。
 島崎竜司は竜盛会の内部でクスリに関する一連の商売を取り仕切っていた。顔を見られるリスクを背負う売人として、田辺は島崎に使われていた人間の一人だ。
「こいつがフラフラした奴で。どこにいるのか今のところ分からないんですよ」
「シマにしているのは?」
「六本木です」
 街には『顔』というものがある。クスリを売るにはクスリを売るべき街があった。しかし、今はその境界が曖昧だ。通称『暴力団対策法』が強化されたことによって、摘発を恐れた売人が他の機能をもっているはずの街にクスリをばらまくことになった。瀟洒(しょうしゃ)なファッションビルが立ち並ぶ六本木の街路にも、暗がりを好む小賢しいネズミが闊歩するようになった。田辺についても同じだ。一戸達樹の殺害に成功したことで、田辺の立ち位置は大きく変化しているはずだ。チンピラには、チンピラなりの扱われ方というものがある。組の構成員に取り立ててやるとの口車に乗せられ、大きな仕事を成し遂げた途端に口を封じられる。この世界にはよくある話だ。

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