『永遠の花嫁』第五章「終雪」A2

『永遠の花嫁』

 見慣れた、そして触れ慣れた小さく厚い版。群青色のビニール製のカバーは、倉科がほぼ毎日目を通しているものとも、花庵の森下から椿の所持品として預かったものとも同じだ。『聖書』。まさにそれを、倉科は本の山を掻き分けた先に見い出した。
「何だ?」
 倉科は歩み寄って来た杉内の存在をまるで気にも留めず、それを自分の左右の手にかわるがわる預けては外観上の変化を探した。さらにページを繰り返しめくってみても、何の変哲もないように思える。
 倉科は、本の背に右手の人差し指を差し込み、ビニール製のカバーをゆっくりと本体から引き剥がした。
「あっ」
 杉内には単なる破壊としか思えなかったのだろう。息を詰めるような短い声を上げた。
 表紙と裏表紙とが一体となったビニール製のカバーが本体から離れ、それでも一部がくっついたままぶら下がっている。
 倉科は本を持ち直すと、カバーから紙を剥がしにかかった。やがて姿を現したのは、透明なビニール袋に包まれたポジフィルムだった。
「写真のフィルム、だよな?」
 フィルムを窓の光にかざすと、そこに数人の人影が透けて見えた。ポジフィルムはネガフィルムとは違い、現実の色彩がそのまま表現される。ビニールには二〇〇五年四月十三日と書かれた紙片が貼り付けられている。
 これならば、人の命を奪ってまで手に入れる価値があるのだろう。その場にいてはいけないはずの人間達の姿が、この小さなフィルムの中に刻み込まれているのであれば。
「八鍬」
 振り向きもせずに自分の名を呼んだ倉科に、八鍬が小さく舌打ちした。そして壁にもたせた体をゆるりと動かした。
「これを」
 倉科はビニール袋に包まれたままのフィルムを八鍬に差し出した。
「言われなくても分かってる。鑑識で指紋を採取してから現像すればいいんだろ」
 八鍬は持参していたビニール袋を鞄から取り出し、その口を広げた。倉科がその中に元のビニールごとポジフィルムを落とした。八鍬はそれ以上何も口にしないまま、泰然を装いながら部屋を出て行った。
「知ってたのか?」
 八鍬の背中を見送った後、杉内がそう口にした。倉科は、その問いには直接答えなかった。
「この部屋のことは、達樹には話しましたか?」
「いや。ここがお前の部屋だったことは」
 達樹が首都圏への進学を決めたとき、経済的な負担を軽くするためにここに住むことを勧めたのは倉科だ。その際、達樹には杉内を親せきとだけ説明していた。
「達樹が大切なノートを俺に預けるためにわざわざ青森にまで来ました」
「お前を慕ってたからじゃないのか?」
 倉科は首を横に振った。
「俺が以前ここに住んでいたことを達樹が知っていたら、似たような過去をもつ者を頼る可能性があったんじゃないかと思って」
「そうか。でも、俺は話してない。誰にも話さないって、お前と約束したからな」 そう言って、杉内は力なく微笑んだ。「兄貴には?」
 少しの間をあけて、今度は杉内が倉科に問いを発した。話題を変えた。杉内の遠慮がちな態度はその物言いだけでなく、わずかながら上目遣いに倉科を見る視線にも現われていた。
「あれ以来、会っていません」
「そうか」

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