「本の紹介」としてブログにアップするための原稿を書くにあたり、自分自身で決めたルールがいくつかあります。そのうちのひとつに「フィクション」として書かれた作品だけを扱おうという考えがありました。ブログという伝達方法を用いるにあたって、自分の生活の一部と物語世界とを関連づけて書くと面白いのではないかと思ったことから、このルールの設定を思いつきました。ところが、今日はどの本について書こうかなと本棚を見上げ、無意識のうちに手に取った伊藤整の『小説の方法』について書いてしまったことで、あっさりとこのルールを破ってしまいました。『小説の方法』は小説に関する研究書であり、特定の作品について語られた評論集でもあるのです。破ったのがあくまでも個人的なルールであることから、まあいいかと自分を甘やかすことにしました。そんな個人的な言い訳をしたうえで、今回は村上春樹の『職業としての小説家』について書きます。
この本の帯には「自伝的エッセイ」とあります。帯は版を重ねる機会に変更される場合があるため、今後も必ずこの文言が使用されるとは限りません。しかし私が読んだ限りにおいて、この本はやはり「自伝的エッセイ」と呼ぶにふさわしいものだと思いました。著者である村上春樹が日々の生活や作品について語っている文章の連続は、やはり「自伝的エッセイ」に他ならないのです。そして、この本に収められた一連の文章は、私にとってとても興味深いものでした。特に「なるほどなあ」と面白く読んだのが、「第三回 文学賞について」です。
村上春樹は、過去に芥川賞の候補に挙げられたことが二回あります。どちらも受賞しませんでしたが、それとはまったく関係のない意味合いにおいて、文壇といわれる場所から比較的離れたところで仕事をしてきたといいます。芥川賞を受賞しなかったことと、文壇から離れたところで執筆活動を続けていたという二つのものごとの間には、本人の感覚としては特に因果関係がなかったといいます。しかし、評論家の中にはそうは見てくれない人たちがいたようです。「落ちて文壇から遠ざかる村上春樹さんのような作家がいるからますます(芥川賞の)権威のほどが示される」という文章が、某文芸誌の巻末コラムに掲載されたというのです。その結果、世の中には「そうか、村上春樹は芥川賞をとれなかったから、文壇から離れて生きてきたのか」と素直に思いこんでしまう人が発生する可能性が生じてしまいます。本人の意思とはまったくかけ離れていることが、まことしやかに語られるのは世の常かもしれません。しかし、それが活字となって衆目に晒されるとなると、余計な真実味が増してしまいます。「第三回 文学賞について」ではその不本意さが語られ、作家の苦労のほどを垣間見ることができます。
村上春樹に関しては、その作品全般にわたって数多くの「評論」が世に出ています。そのいくつかを私も読んでみました。「評論」そのものはとても深遠なジャンルだと思います。歴史や哲学をはじめとした、あらゆる方面の知識を駆使して特定の作家や作品を読み解いた「評論」には、うむむと唸らされるものがたくさんあります。その反面、浅薄な視点からのみ描かれた、「評論」とも呼べないような内容の文章も多数存在します。「本当かなあ」、「それはちょっと飛躍しすぎなんじゃないかな」と思わされるものがたくさんあります。前述した村上春樹と芥川賞に関する内容はまさにその後者にあたります。作家本人が健在で、「自分はこう考えている」と公言していることに関して、評論家によって正反対の考え方が提示されるということは、憶測の域を出ない、単なる「意見」に陥っているとしか思えません。作家本人の言葉や文章によって明らかにされていることについて他者が述べる否定的な見解は、作家本人に対する取材や研究の不足による産物にほかなりません。作家本人の言葉や文章はあくまでも本人その人の考えであって、嘘であっても本当であってもそのまま真っ直ぐに受け入れるしかないのです。本稿では「自伝的エッセイ」対「評論」について書いてきましたが、「小説(フィクション)」対「評論」についてはまた稿をあらためて書く必要があるかもしれません。それこそ私個人の「意見」の域を出ないものになるでしょうけれど。
いずれにしても『職業としての小説家』は、当代きっての人気作家の考えの一端を知ることができる、とても興味深い作品です。ぜひご一読あれ。
53.『職業としての小説家』 村上春樹著 スイッチ・パブリッシング 2015年9月24日第2刷
書評