赤いランドセル

掌編小説

 現代社会に生きることの難しさを表現しようとする友人がいる。
 戦中戦後の混乱期はもちろんのこと、その時代にはその時代なりの「生きづらさ」が必ず存在する。だからこの時代に生きる自分自身の混沌を描くだけで、誰かしら共感する相手はいるはずだと。
 対照的な赤と青が渦巻きながらキャンバスの中心に収束していくその絵は、思惑の壮大さに比して凡庸で、抽象的に過ぎた。
 物質的な豊かさの中で不安こそあれ、未来に希望を抱くことができない若者たちの心理を描こうとする同級生がいる。
 衣食住に困っているわけでもなく、一瞬一瞬を楽しむ手段に恵まれ、デジタル端末を使用すれば二十四時間誰かしらと意思の疎通が可能であるはずなのに、生きているだけでいつも何かしらの不安がつきまとうのはどうしてなのか。答えの見えない問いに対し、せめて今抱えているこの不安を描写してキャンバスにたたきつけたいと。
 キャンバスには咲き乱れる花々のなかに少女が立ちつくしている。しかし、花々の茎も少女の足も描かれてはいない。この世のものがすべて虚像に過ぎないことを表現したかったのだと言う。しかしその心象風景は、どう贔屓ひいき目に見ても独りよがりだ。
 そんな彼らとの接触のなかで、お前はどうするのかと、常に問われ続けている。他人が、彼ら自身との苦闘の果てにとりかかった作品に批判を加えるのは簡単だが、その域にまでたどり着いてさえいないにもかかわらず、自分は批評家然とした態度で彼らの作品に接している。
 どこかで、未来を見据えなければならないのだという脅迫じみた観念に押しつぶされそうになっている。本当はそんなものに心を揺り動かされる自分ではないことが分かっていながらも。
 わたしは何も決められないまま、ただ日々を逃げていた。
 着地点の見えない思考に行き詰まり、飽き、諦めかけた夏のある日。通学のためにいつも利用している上り線とは逆の、下り線に乗った。街へではなく内陸へと向かった。人はどうして、意識しているといないとに関わらず、少しでも知った道をたどろうとしてしまうのか。自分でも無意識に思えた行動は、過去をたどる道程となった。
 鈍行列車に揺られて、山間の、緑が生い茂るなかを進んだ。木漏れ日に目を細め、葉陰に目を開いた。光とたわむれているうちに、一つ目の終点に着いた。
 四方を山に囲まれた盆地は、数年前まで国内の最高気温の記録を保持していた。温暖化が叫ばれて久しい昨今、他の都市にその座を明け渡したものの、この日も湿度の高い、ずしりと重い空気が身体にまとわりついた。それでも顔がほころぶのは、差し迫った現実からの逃避に気持ちが解き放たれているからだ。この街で時間を過ごすのも悪くはない。一度だけ行ったことがあるイタリアの家庭料理を売りにしている店で昼食を摂り、地方都市特有の鄙ひなびた商店街を物色して歩くのも悪くはない。薄らいだ記憶を頼りに、かつて親しんだ街をぶらぶらと散策するだけでも時間はあっと言う間に過ぎていくことだろう。しかし、わたしはさらにもうひとつ先の目的地を目指して別の在来線に乗った。
 盆地を取り囲む山々の切れ目を縫うように走るいくつかの路線のうち、日本海に向かう横糸を途中までたどる。始発駅を発ってすぐ、見渡す限りの果樹の森に入った。木々はビニールハウスに守られ、車窓からはその姿を直接見ることはできない。
 小さな集落を結ぶように走る二両編成の列車は、やがて目的の駅に着いた。ぷしゅっ、と、吐き出された空気の短い音に続いてドアが開いた。コンクリートの表面がぼろぼろと剥がれたホームに降り立ち、歩いた。マッチ箱のような駅舎を出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。太陽の光が真っ直ぐに降り注いだ。遮る物は何もない。額に手を当て、目の上に庇を作った。道路を一本隔てた先にあるスーパーに向かった。店先に吊るされたいくつもの麦わら帽子のなかから、それなりの一つを選んだ。どこかしら農作業用と思われるデザインに、少しだけ笑った。今は日差しを遮る機能があればそれでいい。わたしは間違いかと思うほどの安値でそれを買った。駅前に一台だけ客待ちのタクシーがいたが、子どものころは気が遠くなるほど長く感じた道のりを歩くことにした。大人になった今、道端に咲く野の花を楽しみながら歩くことで、いつの間にかその場所にたどり着いていた。左右にそびえる、立派な門柱の間に立った。何の気負いもなく、思考する間もなく庭へと吸いこまれた。まるで小学生だったころに戻ってしまったかのように。そして、玄関の引き戸を開けた。
「ただいま」
 家の中の空気が、しん、と冷たく静まり返っている。音という音が空間の一点に吸いこまれてしまったかのようだ。石の三和土たたき、畳に障子に襖。陽光を受けて飴色に輝く縁側の床板。そのどれもが心にも体にも沁みこんでくる。
 奥の部屋の襖が開く音がかすかに聞こえた。それにパタパタとスリッパが床を打つ音が続いた。
「あかり」
 少し掠かすれているだろうか。そして驚いてもいるのだろう。それでも、わたしの名を呼ぶ声は耳に心地よかった。
「久しぶりに、おばあちゃんの顔が見たくなって」
 目尻に深い皴を刻んだその笑顔を見て、何か温かなかたまりがわたしの胸にこみ上げた。
「お帰り。暑かったでしょう、さあ、上がって上がって」
 そう言って客用のスリッパをそろえてくれた。靴を脱ぎ、スリッパに足を通した。そして懐かしい空間に足を踏み出した。
 ふと、視界に入ったものがあった。落ち着いた空間のなかで、それだけがはっきりとした色を放っていた。
「おばあちゃん、これ」
 わたしの声に、すぐ前を歩いていた祖母が振り向いた。何を見て私が彼女を呼び止めたのかすぐに分かったのだろう。その視線の先には、子ども用の椅子に置かれたわたしの赤いランドセルがあった。
「どんなあかりも大好きだったの。赤いランドセルを背負って学校に行くあかりも、帰ってくるなりそれを投げ出して遊びに出ていくあかりも。行ってらっしゃい、お帰りって。いつでも思い出せるように、あなたがこの家にいたときのまま、そこに」
 答えはずっと前から分かっていたはずだ。しかし、ようやく心を定めた。この答えに間違いはない。その証拠に、胸の奥が温かい。わたしは、過去に支えられて在る、今の自分自身を描くことを決めた。

タイトルとURLをコピーしました